96のチラシの裏:浦和レッズについて考えたこと

浦和レッズの試合を分析的に振り返り、考察するブログ。戦術分析。 twitter: @urawareds96

浦和レッズというクラブとその歩みについて考えたこと

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はじめに

オリヴェイラ前監督が解任され、後任には大槻毅監督が就任することが決まりました。オリヴェイラ前監督の下、前年の天皇杯優勝とそれによるACL出場権獲得に加え、今シーズンはACLグループステージ突破を決めるなど求められる成果を果たした一方で、リーグ戦は5月全敗と全く振るわず、またミシャを解任して以降の課題となっていた浦和レッズの戦い方を提示することもできず、厳しい連戦とメンバー固定気味の起用により疲弊した選手たちが上昇気流に乗ることはついにありませんでした。2017年途中にミシャを解任してから、3季連続での監督交代へと混迷を極めたクラブへの失望といら立ちは、あらゆるところで語られている通りです。

では、なぜこのようなことになったのか。そして浦和レッズの戦い方とは何なのか。クラブの方針というものがあるとすれば、それは1年2年で考察されるようなものではないという思いから、少し長期的に、過去10年程度さかのぼってこれまでのクラブの歩みを僕なりに俯瞰してみようと思います。

ちなみに、過去の出来事については間違いのないように注意深く確認しながら思い出したつもりですが、あまり記憶力に自信がないので、間違っているところがあればぜひ教えてください。また、10年分の経緯を簡単にまとめるために、その時々での細かい対立や経緯、移籍の事情は可能な範囲で切り捨てました。なので、記憶力が良い人はあの時こんなに大事なことがあったのに、触れていない!と感じてしまうかもしれません。その結果この文章の論理が破綻するようであれば、それはこのエントリを取り下げるか修正・更新するかを検討したいと思います。また当たり前のことですが、このエントリは僕の考えが唯一正しく、これに同調してほしいと思って書いたのではありません。その時々の理想と現実、そして人事をどのように評価しようとも個人の自由で、浦和レッズにどのようなクラブであってほしいかも個人の自由です。特に浦和レッズというクラブを取り巻く意見は、その圧倒的な母数から一つの意見にまとまるのは難しく、結局は結果がすべてなのかもしれません。ただ振り返れば、その時々でクラブのために文字通り身を粉にして、時には容赦のない大ブーイングを受けながら戦った人がいたことも事実です。2007年に到達点を見た最初の15年間と、新しいクラブの在り方を追い求めたこれまでの10年。皆さんがそれぞれこれまでの浦和レッズを振り返って、次の10年の在り方に思いを馳せるきっかけとなればうれしいです。

 

育成と継続性へのコンプレックス

犬飼-ブッフバルト体制の下クラブが成長・巨大化する過程で、浦和はある種のコンプレックスを抱えていたように思います。当時のクラブは、犬飼氏の言葉だという「速く、激しく、外連味なく」を標ぼうし、代表クラスをずらりと揃えた堅守からの、理不尽なまでに強力なFWの得点力を以てリーグやACLを含めた主要タイトルを勝ち取りビッグクラブとして君臨した一方で、強烈な外国人頼みのサッカーであるとか、ユースから育成した生え抜き選手が少ないという嫌味にも似た評価を受けていました。実際には、これは個人的な意見ですが、浦和の黄金期を支えたのは高卒・大卒で獲得した浦和一筋の選手たちの成長がベースにあり、次世代の選手のことを考えこそすれ、その土台を補強する有力選手を「強奪」する強奪クラブとしての浦和レッズという印象など気にする必要はなかったのではないかと思います。一方で、本来はほとんど耳を傾ける必要のないような外野の声も、リーグ、アジアを制し、日本の、そしてアジアの真のビッグクラブとして次の目標を見つける過程にあった浦和レッズにとっては、無視することの難しい批判であったかもしれません。あの頃の浦和は非常に意欲的で、別の言い方をすれば相応に欲張りであったとも言えるのではないでしょうか。

育成コンプレックスの解消への契機となったのは、レッズユース黄金世代と呼ばれた、山田直輝高橋峻希濱田水輝、永田卓也、阪野豊史、そして一学年下ながらプロ入りは同期となる原口元気の世代(また山田直輝たちの2学年下ながらスタメンで試合に出ていた岡本拓也も同世代とくくれるでしょう。)の台頭と、この黄金世代が名古屋U-18を9-1で粉砕した高円宮杯決勝での衝撃的な大勝であるように思います。彼らのプロ入りが近づくにつれて、浦和フロントは栄華を極めたタレント主義的なサッカーからの脱却を目指し始めました。この前提には、アジアを制した堅守速攻のサッカーが通用しなかったクラブW杯・ACミラン戦の経験から、クラブW杯を制覇するためにはカウンターサッカーを脱却し、より主体的なサッカーを目指そうという、クラブやクラブを取り巻く人々のサッカー観の大きな変化が潮流としてあったことも大きな要因の一つとして考えられるかもしれません。また、オジェックエンゲルスの監督交代劇は極めて印象的であり、3年以上継続して同じ監督で戦ったことのない、継続性のないクラブというレッテルもまた、浦和の抱えるコンプレックスの一つとなっていたのかもしれません。

希望にあふれた生え抜き黄金世代の台頭と、堅守速攻サッカーではクラブW杯で優勝が難しいという認識、そして頻繁に監督が交代する継続性のないクラブという批判は、クラブを、生え抜き選手を使った華麗なるパスサッカーという新時代の方向性に導きます。この方向性の変化には、当時の代表人事及び強化部長人事が大きく関連していると考えられます。クラブ巨大化の時代を先導し、浦和レッズの帝国軍的な強さを推し進めた犬飼氏の後を継いだ藤口氏は、犬飼氏のパフォーマンス的なリーダーシップの功罪を鑑みて大胆な方向修正を図り、またその方針が黄金世代一斉昇格のタイミングと相まって、フォルカー・フィンケ氏の招集という形でクラブに持ち込まれたのでした。

 

フィンケ氏の招集と、生え抜き×アクションサッカー×継続への挑戦

浦和レッズは、生え抜きを使った華麗なるアクションサッカーの旗手に、ドイツ育成界の名伯楽であるフォルカー・フィンケ氏を招集します。若手登用に定評のあるフィンケ氏は、ドイツのフライブルクをその時々の有望な若手を見出しながら16年間(!)に亘って指揮してきた大物であり、まさに若手登用と継続性、パスサッカーの伝道師として迎えられたのでした。この方向性をサポートするため、フロントは当時台頭していた新時代の若手選手獲得に心血を注ぎました。2009年には上記ユース黄金世代の大量昇格を、そして2010年には香川真司本田圭佑長友佑都といった北京オリンピック世代を物色し、最終的には広島から「走るファンタジスタ柏木陽介を迎え入れることに成功します。また、一度はユースから流通経済大学に放流していた宇賀神友弥を「獲得」し、水戸にレンタル移籍させていた高崎寛之をレンタルバックさせた一方、黄金期を支えた闘莉王三都主アレサンドロを名古屋に放出するなど、生え抜きを中心にチームの若返りを図るという方向性を明確に打ち出しました。タイトルの経験を備えたベテランたちや絶対的なエースであるロブソン・ポンテを土台に、デビューから圧倒的な存在感とまぶしいほどの才能を見せつけていた山田直輝原口元気高橋峻希といった生え抜き、そして彼らと共演する新時代のファンタジスタ柏木陽介というロマンに溢れた陣容は、フィンケの一流の指導とマネジメントに料理されることで新時代の浦和の栄光を約束するはずでした。

しかし結果として、フィンケのサッカーが結果を出すことはありませんでした。初年度の前半戦こそ2位で折り返したものの、後半戦では7連敗を含む不安例な戦いぶりで最終的に6位。柏木らを加えた2010年も一度は首位に立ったものの最終的には10位でシーズンを終えるなど、望んだ栄光の時代が訪れることはなく、激しい賛否両論を呼んだフィンケ体制は終了したのでした。ワシントンの後釜として獲得したエジミウソンや高原の不発(エジミウソンについては、不発と呼ぶほど悪い成績ではなかったものの、ワシントンの圧倒的な存在感や決定力と比べれば物足りなかったのは事実でした)や、フィンケ氏が直々に呼び寄せたサヌやスピラノビッチといった将来性のある外国人選手が期待通りのパフォーマンスを発揮できなかったこと、ロマン溢れる攻撃陣を揃えた反作用として不安定な試合運びと守備を露呈したこと、2010年の大怪我を含む山田直輝の度重なる怪我、若返りを図る中で強かな勝負強さが失われてしまったことなど、ピッチ上の要因もいくつか考察できますが、クラブ内部に加えてメディアやサポーターなど、結果を得られない中でクラブ周辺がこの方向性を信じきれなくなったことが最も大きな要因となり、「速く、激しく、外連味なく」の犬飼時代に回帰するのか、フィンケ氏の路線を継続するのかは大きな議論となりました。

 

苦肉の中道策が導いた地獄のシーズン

今思えば、クラブはこのとき、内外に展開されたふたつの極論に答えを出すことができなかったのでしょう。栄光時代の夢の続きと新時代の浦和レッズ、二つの夢の間でクラブ内部やメディア、サポーターの意見は分裂しており、どちらに舵を切っても一定の批判は免れない状態でした。ここでクラブが見出したのが「レッズスタイル」や「強くて魅力あるチーム」という曖昧な言葉であり、今になってみればこれは、大変な時期のかじ取りを任された橋本代表と、その右腕として強化策を統括していた当時強化部長の柱谷幸一氏による中道策だったと考えられます。彼らは、この年のスローガン”TOGETHER FOR THE GOAL”に示される通り全ての意見を取り込もうとし、コンビネーションをベースにしたサッカーを目指す一方で、結果を求める声に応えるための補強に動きました。そして、誰もが受け入れられる新監督として、浦和レッズ最初期を支えた名選手の一人であるゼリコ・ペトロビッチ氏を監督に迎えたのでした。

クラブが中・長期的にどのようなサッカーを目指すのかは曖昧でしたが、ゼリコ氏はオランダでのコーチ経験をベースとした、自らが「欧州的」と表現するオランダサッカーを持ち込もうとしていました。それは梅崎司原口元気といった勢いのあるウインガーを強みと位置づけ、彼らのドリブルから局面を打開するサッカーでした。かたやフロントは、新潟からマルシオ・リシャルデスを、サンパウロからドリブラーマゾーラを、そのほか青山準や野田の復帰などの補強を実施し、シーズン途中には中東へ移籍したエジミウソンの穴埋めでランコ・デスポトビッチを獲得。ゼリコ氏をサポートしつつ「生え抜き・若手路線」を踏み外さないような補強で一定の戦力を揃えシーズンに臨みました。しかし、近い距離間でパスを繋ぐそれまでのフィンケ式サッカーからミドルパスをつないでウインガーに勝負させるゼリコ式サッカーの根本的な違いに選手が対応しきれず機能性を失っていったこと、またストロングであるウインガーのアタックを相手に数的有利で守られた場合の次の打ち手を具体的に示すことができなかったこと、補強で連れてきた選手たちが凡庸なパフォーマンスに終始し既存の選手を脅かすことができず、チームに期待通りの積み上げがもたらされなかったこともあって、浦和は最終節まで残留を争う地獄のシーズンを過ごすこととなったのでした。「レッズスタイル」の積み上げの御旗の下招聘したゼリコ氏の解任をギリギリまで渋ったフロントはついに残り5節の場面で当時コーチの堀氏にすべてを託し、ゼリコ政権は終了することとなったのでした。

 

強烈な反省と継続への再挑戦

柏木の当たり損ねシュートがディフレクションしてゴールに転がり、蹴り直しを命じられたPKをマルシオがしっかりと決め、キャプテンを務めていた鈴木啓太の涙とともに残留を決めた福岡での決戦を経て、2011シーズン途中に強化部長に返り咲いた山道氏をはじめとしたフロントは、大きな反省と共に継続性へのコンプレックスと意思を強めていました。あの時フィンケ体制を継続していればもっと良い結果が出たかはわからなかったものの、少なくともフロントの中途半端な方針の下、周囲の受け入れやすさを優先して実績と経験の乏しいOB監督に運命を託したことに対する自責と反省は相当のものがありました。

浦和レッズ 2011シーズンの総括

浦和レッズは2011シーズンの総括をまとめましたので、その概要をお知らせ致します。
(中略)
[チーム]
今シーズンは、2008年シーズン終了後に掲げた「レッズスタイル」を次の段階に進めることを目指しました。「本当の意味で強くて魅力あるチーム」を構築し続けることを目的に、クラブと監督の目標や役割を共有する等チームマネジメントを育みながら長期的にチーム作りに取り組んでいくことを「レッズスタイル」と表現してきました。実際のピッチ上での戦術は、チームや試合の状況によって柔軟に対応するものの、勝利への執念をベースにイニシアチブ(主導権)を重視した闘いを目指すものです。
新たに監督にペトロヴィッチ氏を迎え、昨年までに築いたものをベースに反省点を加味して、よりアグレッシブなサッカー、フェアプレーの追求、勝利への執念、チームマネジメントの強化等を掲げ臨みました。リーグでは、開幕ダッシュに失敗し、夏場には昨シーズンと同レベルの勝ち点まで挽回したものの、その後勝ち点を稼げない状況に陥りました。トレーニングで修正を続けましたが、戦術面等で昨シーズンまでに蓄えたものからの進化がなかなか見えず、厳しい内容のゲームも目立ちました。失点が少ないことは収穫でしたが、アグレッシブさが不足し、得点力がアップしない状況が続き、当初掲げた狙い通りのチームに成長したとは言えない状況でした。
(中略)
シーズン途中でチームを担う責任者2名を交替したこと自体大きな反省点です。監督選任、補強といったチームの編成機能に課題があったことが大きな要因と捉え、9月以降は強化部を中心に据えながらクラブ内で合議の上でこれらの作業を進める体制に急遽移行しました。
(中略)
[おわりに] 
ここ数年は世代交代や長期的に「強くて魅力あるチーム」をつくろうとしてきましたが、結果を残すことはできませんでした。
2012シーズンは、クラブの信認回復とともに、チームの立て直しを進めることが最大の目標です。近い将来、再び優勝を争えるよう、クラブ・チームを再建・再生させて参ります。
編成機能を強化し、可能な限り強化費用を確保します。成長が続く若手を登用しながらもその周りを実力ある選手が囲むようなバランスあるチームとなることを目指します。2012シーズンの監督をはじめチームの編成につきましては、決まり次第順次お知らせさせて頂きます。
浦和レッドダイヤモンズ

多くの皆様に夢・希望・幸せを提供するアジアを代表するような「地域の誇りとなるクラブ」を目指し続けるというビジョンを掲げながら、実現に向けた方向性がはっきり見えない現実を反省し、お詫び致します。
このビジョンへの推進役となる「強くて魅力あるチーム」づくりを、クラブの最優先事項として明確に掲げ、中・長期的視点で、肝となる監督を選任し、チームの再生を図ります。
残留争いで苦しいリーグ戦を終えた今シーズンでした。この経験を無駄にすることなく、終盤の横浜F・マリノス戦やアビスパ福岡戦で見せた「浦和レッズの執念」を種火として、再び燃え盛る勢いを取り戻すよう結束して挑戦し続けます。
浦和レッドダイヤモンズ

代表    橋本 光夫

浦和レッズ 2011シーズンの総括
http://www.urawa-reds.co.jp/topteamtopics/%E6%B5%A6%E5%92%8C%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%BA%E3%80%802011%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%B7%8F%E6%8B%AC/

この反省文のポイントは、「中・長期視点で肝となる監督」及び「可能な限りの強化費用」の部分でしょう。これは、フィンケ氏の後釜としてのゼリコ氏の招聘が、フィンケ体制への激しい賛否両論のどちらをも立てるために戦術ではなく誰もが認めるレジェンドを招聘したOB人事であり、「中・長期視点」とはかけ離れた対処療法であったことを間接的に認めたもので、また優勝のための補強も、予算事情と「生え抜き・若手路線」に引きずられた中途半端なものであったと認めるものだと考えられます。

しかし、この強烈な反省をもとに、すんなりと万事解決とはいかないところがクラブ運営の難しさだというほかありません。「中・長期的な視点」と「可能な限りの強化費用」に関する反省は本物であった一方で、クラブは「レッズスタイルとは何なのか?」という大命題と向き合うことができませんでした。この頃の浦和レッズの本質的な二項対立とは、犬飼氏の示した(勝利至上主義的な姿勢と有望選手のなりふり構わない補強、そして堅守を軸にしたリアクションサッカーに紐づけられる)「速く、激しく、外連味なく」か、アンチテーゼとしての「生え抜き、若手によるアクションサッカーというロマン」なのか、でしたが、結果的にクラブはそのどちらでもない方向に進んでいくことになります。ただ、この点についてはクラブの怠慢というよりも現実的な事情だと考えるのが妥当ではないかと思います。結果の低迷や内容と結果を同時に求める難しいサポーターというイメージに加えて、その都度大きく揺れ動くクラブの方針や監督へのサポートのなさといった悪いイメージによって有力監督から敬遠され、思うように新監督を選ぶことが出来なかった現実を無視することは出来ません。これも身から出た錆と言われればそれまでですが、当時の監督人事が極めて難しいものであったことは想像に難くありません。

 

ミシャの時代―何を継続するのか、という問い

様々な飛ばし、ネタ、スクープを経て、浦和レッズは広島と契約を解除していたミハイロ・ペトロビッチ氏と1年契約を結びます。橋本代表がこの時の心境を語った記事をこれまでに見たことはありませんが、この時点でミシャに大きな感謝の念を抱き、彼をサポートしていこうという強い覚悟を決めたことは容易に想像できます。独特であるものの明確な戦術を持ち、Jリーグでの経験も豊富なミシャを招聘出来たことで、浦和フロントは今度こそ「中・長期的な視野で」チームを構築していくことを誓います。この年にドイツ帰りの槙野智章をレンタル移籍で、そしてイングランドへ挑戦していた阿部勇樹を再獲得したことを皮切りに、その後も元広島のミシャ・チルドレンに加えて他クラブからも彼のお気に入りの選手を次々と獲得していきます。

もちろん度々の批判や苦難がなかったわけではありませんが、ミシャの手腕は本物でした。運命の再会ともいえる柏木の存在もあって、初年度は戦術的には未熟であったものの混沌のJリーグを3位でフィニッシュ。その後も望み通りの戦力を補強しながら戦術を洗練させていき、ピークとなった2016年には歴代最高タイの勝ち点74という金字塔を打ち立てます。レギュレーション上リーグ優勝とならなかったという極めて大きな注釈はつくものの、浦和とミシャの二人三脚はここで一応の完成を見たと言えます。

このミシャの時代を、中・長期的な視座からどのように評価すべきかについて考えてみます。「速く、激しく、外連味なく」か、アンチテーゼとしての「生え抜き、若手によるアクションサッカーというロマン」という二項対立は、ミシャの招聘によって解決されたのでしょうか。答えは、NOと言わざるを得ません。ミシャのサッカーはあくまでミシャのものでした。もっと言えば、ミシャの理想と手腕、フロントのフルサポートを受けてミシャが集めた有力な選手、そして結果を求めるフロント、サポーターの厳しい評価が複雑に交わって形となったものでした。個々の選手の高い技術と繰り返し磨かれた型に基づく抜群のコンビネーションで攻撃的に相手を圧倒する「アクションサッカー」を築き上げた一方で、育成という意味ではユース上がりの生え抜き選手をレンタル等で放出し、自らの目で集めたミシャ・チルドレンたちがのびのびと成長していったのがこの時期です。つまり、クラブの方針に継続を持たせることには成功し、それによって到達点となる2016年の勝ち点74を達成したものの、クラブが継続していたのはミシャの方針であり、ミシャのサッカーでした。悪くいってしまえば、ミシャへの依存の時代だったとも言えます。2017年途中に解任されるまでの5年半もの間、浦和が一つのスタイルを突き詰めたことは間違いなく特筆されるべきアチーブメントであり、この5年間で作り上げた強固な土台の上に美しいコンビネーションサッカーが花咲き、浦和は安定して上位に立ち続けることに成功しました。一方で、ミシャのサッカーはミシャが持ち込み、育てたものであり、「速く、激しく、外連味なく」か、アンチテーゼとしての「生え抜き、若手によるアクションサッカーというロマン」かという二項対立に答えを出すものではありませんでした。

また、最も難しかったのは結果の評価でした。2014年は32節時点で大手をかけながら勝ち星を伸ばせずに優勝を逃し、続く2015年は開幕19試合無敗で1stステージを制しながら終盤に失速し年間勝ち点2位。優勝を決めるチャンピオンシップでは2014年32節に続いてガンバに敗戦し年間3位、そして2016年は、ナビスコカップを久しぶりに優勝し、リーグも年間勝ち点74を獲得しながら、最後の最後で鹿島に敗れ優勝を逃すこととなっています。最後の最後で結果が出ない、リーグタイトルに3度手をかけながら3度ともタイトルを手にすることが出来なかったミシャのサッカーは、どんなサッカーをしても最後は結果であるという意味で満足できるものではありませんでした。もちろん解任直前のミシャ・レッズは戦い方を見失っており、好調のシーズンが一転した9節A大宮戦でのまさかの敗戦以降の成績は3勝1分け8敗とほとんど崩壊していたのですから解任が妥当な判断であることは間違いないのですが、一方でこの解任によってポスト・ミシャの時代の青写真を描くことは極めて難しくなってしまったのでした。結果として、ミシャへの依存の時代は、ミシャがいなくなったときにどうするか、クラブがどこに回帰するのかを定める前に終わりを告げ、浦和は自身で解決すべき最大の命題に解を持たぬまま、対処療法的にシーズンに追われていきます。

 

ポスト・ミシャの時代と「あの頃」への回帰

後任には堀コーチが昇格し、2011年に続くシーズン半ばでのリレーとなりました。「黄金世代」を率いていた頃からの彼の形である4-1-4-1を採用し、中盤での守備やセカンドボールの競り合いに強みのある青木拓矢や長澤和輝を起用し、安定感を重視した戦いをチームに持ち込みました。この時点で浦和が目指していたのは、ミシャ・レッズが失ったバランスを取り戻すことでした。攻守のバランスを失ってしまったチームですが、ミシャが率いていた時と同じ選手がいるわけで、監督の交代によって積み上げたものが簡単に崩れてしまうとは疑っていなかったのだと思います。

曖昧な期待を背負った堀・レッズですが、ある意味で捨てる神あれば拾う神ありの幸運には恵まれました。2016年の理不尽ともいえる「準優勝」を経て結果へのプレッシャーが高まったクラブとミシャは、この年に新潟からラファエル・シルバを獲得していました。優勝への最後のピースと目された彼の圧倒的なスピードと破壊的な得点力を最大限に活かすため、そして終盤での事故のような失点や、彼の守備面での貢献の少なさを覆い隠すため、この年のミシャはこれまで以上に相手を押し込み、相手コートでゲームのほとんどを進めようとする超攻撃的戦術に傾倒していました。結果的にこの戦術はリスク管理をおろそかにしただけでなく、勝てなくなると前のめりが悪いほうに出て自分たちの姿を見失うこととなったのですが、一方で堀体制においては、ラファエル・シルバの存在は守備からのカウンターに迫力を与え、ここぞというタイミングで彼にしか決められないゴールを上げ、ミシャを失いフォーメーションも変えたことでコンビネーションを失いかけていたチームの攻撃力担保に大きく貢献したのでした。結果としていくつかの奇跡的な勝利を経て、浦和はこの年に2度目のACL制覇を成し遂げることになります。

2018シーズンを迎えるにあたって、ミシャ体制の崩壊からチームをACL優勝に導いた堀体制を継続しリーグ戦での巻き返しを狙う浦和でしたが、このシーズンは序盤から躓くこととなりました。開幕直前のラファエル・シルバの中国移籍を受けて急遽アンドリュー・ナバウトを獲得するものの目立った結果は出ず、開幕5試合で2分け3敗。未勝利のまま4月初旬に堀氏を解任することになりました。思えば、堀体制におけるアチーブメントはラファエル・シルバの得点力に大きく依存しており、彼の離脱を穴埋めしきれなかったという現実が、負債としてチームに重くのしかかっていたのではないかと思います。クラブは、アカデミーダイレクターだった大槻毅氏とユースコーチの上野勇作氏をそれぞれトップに引き上げ暫定的に指揮をとらせると、4月19日には元鹿島のチーム・オリヴェイラをクラブに迎えることを発表します。

オリヴェイラ氏の仕事の善し悪しは別として、クラブの決断を考えたときにこのオリヴェイラ氏の就任は大きな転換点となりました。ミシャの積み上げを継ぐ者としての堀氏の内部昇格は、ゆるやかであいまいな期待が込められた人事であり、現実として出来上がったものはラファエル・シルバへの攻撃面での依存であったものの、ミシャの下で現場経験を積み上げた堀氏の登用であったことから、継続性という意味では理解の余地がありました。一方でオリヴェイラ氏は、ミシャの積み上げてきたサッカーとは全く違う、リアクション的な、「速く、激しく、外連味なく」の体現者です。ここで浦和は、2009年からの挑戦を捨てて、結果を求める10年前(「速く、激しく、外連味なく」の初出は2004年であったため、以降同じ文脈を示す「10年前」は「15年前」と修正します。)のスタイルへの回帰を選んだと言えます。

なぜ、このような大転換が起きたのでしょうか。予兆は2018年の立花氏の副社長就任ではないかと思います。2019年の社長就任時に、彼は所信表明でこう述べています。

(前略)

【立花洋一新代表】

(中略)

 私は、昨年の2月から副社長ということで浦和レッズに来ましたので、1年間、特に4月から強化を担当するということで、まさに一番チームの大事なところを担って、精一杯やってきたつもりです。明日から、全ての責任を、私の方でみなさんの期待に添えるような形で、なんとかこのクラブを目標である、あらゆる分野でアジアナンバーワンのクラブにする。そして、以前もお話しましたけれども、何とかクラブワールドカップで勝ちたい、優勝したい、という思いが、私にはございます。それを実現するような形で引っ張っていければなと思っております。

(中略)

これからクラブの経営にあたっていくわけですが、強くて魅力あるチームという言葉がよく出ます。その強くて魅力あるチームというのは何なのか私なりに解釈すれば、強いということは、やはりタイトルを獲るということに尽きると思います。そして、魅力あるチームは何なのかと言ったら、これは、入場していただくお客様の数、そこが全てにつながっていくと考えております。従いまして、私が代表に就任して、まずやりたいことは、とにかくタイトルを獲る、そして、埼スタを満員にして、その声援で、選手も戦う、そして、ファン・サポーターの方も戦う、そんなクラブ、チームにしていくことだと思っています。ここ10年くらい、それまでの浦和レッズとは違った、埼スタがいっぱいになるということも減りましたし、何となく私が外部にいたときも、あのワクワクした埼スタってどこにあるんだろうな、というような気がしていたのも事実です。そういったところを、私がもう一度、あの満員の埼スタと本当にワクワクドキドキするような選手のプレー、あるいはスタジアムの雰囲気。そういったものを再現させていく思いが強いです。そういったことをやるために、いろいろな方と力を合わせて現実のものとしていきたいです。

 

 事業を経営する以上、もちろん会社の規模でも、あらゆる分野で、アジアナンバーワンを目指す以上、そういったところでも、事業を拡大し、周りのいろいろな方から、世界中の方から、浦和レッズというものが認知されて、すばらしいサッカークラブだな、という評価を得られるように、微力でありますけど、全力を尽くして参りたいと思っております」

 

[質疑応答]

(中略)

(ここ10年でスタジアムが満員になる数が減ったとおっしゃっていたが、その理由はどういったところだと考えているのか?)

「みなさんも同じかと思いますけど、浦和レッズの試合をずっと見ていますけど、それこそ日本代表で活躍する、とか、強力な助っ人外国籍の選手ですとか、そういった選手がいて、その選手を応援すると言ったときに、その選手の戦い方、あるいはプレースタイルというところが、浦和レッズである以上、こうあるべきだよね、というものが私はあると思っています。そういった選手のプレーであったり、人間そのもの、あるいは、性格を含めてかもしれませんけれども、そういったものにみなさんが期待をし、それでスタジアムに駆けつけて試合を見る、ということだったような気がします。ですから、そういった選手が今年31人いると思っています。そういったプレーヤーにすることはもちろんですし、それと共に、アクセスなども、今、いろいろなことをやっていますけども、以前から言われているように、駅から遠かったりということもあります。

 

 良くする、進化させることが当たり前だと思います。あるいは、そういうことを実際にやることが本当にどこまでできていたのか、と感じています。私は、重要なのは、そういったプレーヤーですばらしい試合をお見せしますし、この浦和の街からどれだけのファン・サポーターのみなさんを、埼玉スタジアムに来ていただくか、そこを、若い方たち、新しい方たちも含めて、ファン・サポーターになっていただくように、いろいろな手を打っていかなければいけないと思っています」

 

(昨年のお話のときも、今日もそうだが、ワクワクさせてくれるような目標を聞かせていただいているが、それらを実現させるために、今、こういったアイデアや計画を聞かせてもらえるか?)

「難しいことはたくさんあると思います。浦和レッズというのは、これから未来永劫発展していくクラブだと思っています。そういった意味で、当然事業計画で、今年はこういうことをします、ということはあると思います。でも、大事なのは、おそらく私としては、代表就任後、2ヵ月、3ヵ月後には、5年先、10年先を見据えて、どういうことをやりたいか、ということを構想段階も含めて、みなさんにお話できればと思っています。それと共に、浦和レッズというクラブは、こういうクラブになるようにこういうことをします、というところも具体的にお話できたらと思っています。もちろん、今、ここでこういうことをやりますよというアイデアは当然あります。ただし、そういったことはいろいろなクラブのメンバーとも話をした上で、そういった形で求めていければと思います。それは、多分とても大事なことだと私は思っていまして、5年、10年、30年、50年先、ああいうことをやると言って実現するということをみんなでつないでいくのが、大事だと思っています。

(中略)

(レッズができて27年、28年になるが、1999年のJ2降格の件や2011年の残留争いの総括がクラブの中でされていると思っているか?)

「(中略)降格したことや、降格の危機があったという状況のときに、クラブの中にはいませんでしたが、当然試合を見たり、1990年代あたりは、私も試合のときは、どちらかというとスタンドというよりは、運営のところに行って試合を見ていたような人間でした。そういう現場の雰囲気は私なりに感じていますし、理解しているつもりです。それがあっての昨年4月、リーグ2分3敗というところで、どうやって行くんだ、このままでは、というすごい危機感がありました。副社長という立場でしたが、そこでは、ここで強化という仕事に携わらなければいけないという使命感に燃えて、その立場についたということです。常に優勝。3年続けてカップ戦を獲りましたけども、リーグの優勝を待ち望んでいる人は、どれだけいるかということはよく分かっています」

(中略)

 (淵田代表は5年間の仕事を言葉にすると『土台』と言っていたが、ご自身のこれからの仕事を言葉にするとどんな言葉になるのか?)

「理念にも書いてあるのが、『革新と伝統』とありますが、やっぱり、再現ということは、レッズの伝統をどのように再現し、表現し、そして、その伝統に何を積み上げていくか、ということだと思います。

 進化というのは、革新ということよりも、我々の本業はサッカーのエンターテインメントです。サッカー王国浦和と発祥したクラブです。そういう王国ですから、サッカーの王道というものも考えながら、それをどういう形で新しいことをやって進化させるのかということだと思っています。ですから、みなさんが喜んでいただけるようなことをやって、お客様が増えることが、ある意味進化につながると考えています」

立花洋一新代表取締役 就任会見

http://www.urawa-reds.co.jp/clubinfo/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E6%B4%8B%E4%B8%80%E6%96%B0%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E5%8F%96%E7%B7%A0%E5%BD%B9%E7%A4%BE%E9%95%B7-%E5%B0%B1%E4%BB%BB%E4%BC%9A%E8%A6%8B/

 「強い浦和を取り戻す」。彼の言う「取り戻す」という言葉は、どの時点での浦和を取り戻すということなのでしょうか。言うまでもなく、15年前の浦和なのでしょう。リーグで勝ち、アジアで勝ち、そして平均4万人以上の観客を集めた、あの浦和。これこそが浦和の「伝統」であり、立花氏の理想はここにあると想像できます。彼の発言は、犬飼氏に非常に近い思想に基づいていると想像できます。それを理解すれば、なぜオリヴェイラ氏かという疑問を持つまでもありません。クラブは、「あの頃」の浦和を敵として知るオリヴェイラ氏に、その浦和を取り戻してくれと託したのです。

 

オリヴェイラの解任と10年前から変わらぬ問い、根本的な問題としての代表人事

オリヴェイラ氏は彼らしい仕事を通じて浦和に久しぶりの天皇杯と2019年のACL出場権、そしてACLグループステージ突破という成果をもたらしましたが、ピッチ上でそれ以上のものを見せることはできませんでした。結局クラブは3年連続となるシーズン中の監督交代と、チーム大槻を正式な監督として再任させることを決めます。

思えば、ACL優勝からミシャ→堀氏→大槻氏→オリヴェイラ氏→大槻氏と続く監督交代はジェットコースターのように唐突で目まぐるしいものでした。これらの監督交代はすべてシーズン中に発生しており、解任を決めてから次の候補を呼び寄せるまでにかけられた時間は長くても3週間程度でしょう。ミシャが築き上げた5年超に及ぶスタイルをどのように次に繋ぐかなど考える余裕がなかったのは明らかであり、そもそも立花氏が就任した2018年以降はクラブの目指す考え方自体が180度変わっています。別の言い方をすれば、ミシャとの5年半の間にミシャのサッカーからクラブのサッカーとして染みついたものは、浦和のためのピッチに立ち続けてくれる優秀な選手たち以外にはほとんど何もないと言ってもよい状態となってしまいました。

一方で、継続性のためなら何連敗しようと我慢すべきだったのかという議論もまた、難しいところです。ミシャ解任時、堀氏解任時、オリベイラ氏解任時のそれぞれの解任直前の成績を見ても、このまま続けば降格の2文字を意識せざるを得ないような、つまり2011年の地獄のシーズンのトラウマを呼び起こさせるような惨憺たる結果となっています。浦和は我慢の効かないクラブという評価もちらほらとありますが、はっきり言って最低限の我慢はしているし、我慢すればいつかは良くなるといえる状況でもなく、なによりクラブには2011年を二度と繰り返してはいけないという強い危機感があったはずです。

ではどうするべきだったのか。この混乱の主な要因は、思うような成果の出ていないキャンプの過ごし方を含めて非常に複雑に絡み合っていますが、一つ反省すべき点があるとすれば、やはりクラブの根本的な方針=前述の二項対立に方向性を示せなかったことではないでしょうか。特に、結果は最高ではなかったものの安定していたミシャの時代に、「レッズスタイル」を真の意味で定義出来なかったのは痛恨でした。黄金期に培ったレッズスタイルと、フィンケ時代に目指したレッズスタイル、そしてミシャの時代に積み上げた(ミシャに依存した)レッズスタイル。どれが浦和のあるべき姿なのか、将来にわたって紡いでいく普遍的な価値観、浦和レッズのピッチ上の哲学について、内部・外部との対話やクラブ内での確立が必要なのではなかったかという疑念は拭えません。

しかし、この考えにも注釈がつくのは確かです。どこまでクラブが哲学を定義しても、代表が変われば根本的に違うものが持ち込まれ、その思想になびく組織なのであれば、そんなものに意味はないからです。そして、クラブが主体的に代表者を選んでいく権限がほとんどないとすれば、この議論はもっと深刻なものになってしまいます。つまり、浦和レッズの迷走の歴史の根幹とは一貫した信念のもとにピッチ内外の方針をアップデートしていくことのできる代表者を自律的に選べないことであり、これは浦和レッズという組織の構造的な問題と言い換えることができます。フィンケを招集した2008年の暮れから10年に及ぶ紆余曲折と我慢、淵田氏が自身の任期であった5年間を「土台作り」と称した継続性へのコミットメントの総決算が、その10年を外から見続けてきた立花氏による15年前への回帰という形になるとは、皮肉にも程があるというか…。この10年間を支えてきた人たちがいつでも素晴らしかったわけではありませんが、それでも彼らだって勝ち点74を獲得し、ACLを制したチームを作り上げたのです。そんな彼らが、今の浦和の方針をどう見ているのでしょうか。もちろん、簡単に本音を言うはずもありませんが。

 

大槻監督の時代、新しい継続のスタート地点

結局のところ、継続性と若手育成、アクションサッカーにチャレンジしたフィンケ期と、監督に依存しつつもアクションサッカーを継続的に積み上げてきたミシャ期を含むこの10年間は、2018年に堀氏が解任された時点で区切りとすべきなのでしょう。しかしその後、オリヴェイラ氏をもってしても簡単に「あの頃」に回帰することは出来なかった。これからの浦和が、10年引きずった二項対立にどのような方向性を見出すのか。オリヴェイラ氏を引き継ぐ大槻毅監督の選定の意図はどんなものなのでしょうか。

大槻監督の就任時の説明会見で、立花代表と中村GMは次のように語っています。

(前略)

(契約は複数年なのか、今シーズンだけなのか? それと、大槻氏が監督を引き受けた時点で、監督の方から何か要望、リクエストはあったのか?)

立花洋一代表

「契約の話はちょっと難しいですね」

 

中村修三GM

「向こうからの要望ではなく、我々がこういうふうにしたいということを伝えています。細かいところで、現場のお願いはありましたけど、大きいことは特にありません」

 

(クラブ側からはどういうことを?)

中村修三GM

「クラブ側は、目標は変わらない、ということです。そして世代交代を考えてやってくださいと。それだけです」

 

(オリヴェイラ監督を招聘された時点で、かなり大きいスタイルの変更があり、レッズとして共有するイメージがつくられるのかと思っていたが、今回契約解除されたということで、スタイルを確立しきれずに新しい監督になってしまうという懸念もあるが?)

中村修三GM

「オズワルドには、昨年途中で来てもらって、チームを変えてもらうというよりも、目標を変えずに、そのときはリーグ優勝だと思いますけど、目指していくので、そこを目指してがんばろうと。あとはクラブとして、勝つチームをつくっていきたいということで、勝つチームを実現してくれました。最後まで戦うとか諦めないとか、そういう戦う姿勢とかを植え付けるということをこちらからもお願いして、それを本当にやっていただきました。勝つことに固執して、それを実現してくれて、こちらの要求に対して対応してくれたと思っています。

 

今年はACL、リーグの2冠、他のタイトルも当然目指しますけど、特にその2つに関しては獲りに行こうということで、そこにフォーカスを当てさせすぎたというこちらの反省もあります。話の中では、世代交代をしていこうという話をしていたんですけど、実際にフォーカスしたところがそこの優勝、優勝というところが強すぎたという反省があります。なのでメンバーはある程度固まったメンバーでいった部分があるのかもしれません。

 

今度は世代交代というのを明確に伝えて、監督にお願いしているところです。今まで通り、勝負へのこだわりというところは同じなんですけど、オズワルドには勝利のメンタリティーとか、最後まで走る、闘う、諦めないということは植え付けていただいたと思います。そのベースがあるので、大槻監督自身もそこは引き継いで、彼自身も考えは同じなので、プラス昨年のベースがあるので、そこの上積みは間違いなくあると思います」

(中略)

(こういうサッカーがレッズのサッカーということについて、少し具体的に、頭の中の考えを言葉にしてもらえるか?)

中村修三GM

「こういうサッカーをやりたいというのは、僕自身はあるのですが、今、レッズがこういうサッカーというのは、たとえば僕がGMを辞めたとき、違うGMが来たら、じゃあ自分はこういうサッカーと言ったら変わってしまうじゃないですか。そこは僕がやりたいサッカーじゃなくて、レッズとしては誰がGMになっても、監督になっても、監督についてはGMがやりたいサッカーについて伝えるからGMの考えでいいと思うのですが、とにかくレッズは誰がGMになっても、勝つサッカーを目指します。そのために必要な監督を置いた、という考えでいきたいと思います。そこは不変だと思います」

 

(世代交代という大きなテーマを抱えながら勝利を求めるという難しいミッションが課せられるのが浦和レッズだと思うが、大槻監督を持ってきたということで、育成経験もある大槻監督にはどういう手腕を期待するか?)

中村修三GM

「彼が一番優れているのは、僕は分析力だと思っています。その分析力をフィールドで実現、体現してくれる人だと思っています。分析したものをトレーニングで実際にやって、それを試合でそのまま出していく、それをしっかりやってくれるのが大槻監督だと思います。もともと育成もやっていますし、育成との連携というのもより強くなると思います。とにかく彼は、サッカーが好きじゃないとみんなこの世界にいないと思いますけど、本当に朝早くから夜遅くまで、時間があるときは映像を見て、とにかくどこがいいとか悪いとか、常に考えている人間です。そこは一番得意としているし、期待もしています」

(後略)

http://www.urawa-reds.co.jp/topteamtopics/%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E4%BA%A4%E6%9B%BF%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%81%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%80%81%E4%B8%AD%E6%9D%91gm/

 つまりは、大槻監督の就任は、クラブとしては3季連続の監督交代ではあるけれども、立花-中村体制ではまだ一度目の交代であって、彼らの中にはオリヴェイラ氏→大槻監督の中にある種の継続性を見ているということなのでしょう。大槻監督の本来のサッカーは、レッズサポーターの中でもあまり知られていませんが(もちろん僕もユースを追いかけていたわけではないので詳しくはないのですが)、彼のこれまでの仕事を見てきた限りでは基本的にはプレッシングからのカウンターを得意としているようです。そのプレッシングをどうはめ込むかの前提として、自分たちの整理と相手の分析を大切にし、そこに強みのある監督。そのように考えれば、やはり「速く、激しく、外連味なく」の時代に回帰し、その中で継続性を持たせたいというのが現政権の方針であると考えるのが論理的ではないでしょうか。この文脈で考えると、クラブの強化方針を握る二人が「世代交代」をあえて口にしたのは、この10年間、アクションサッカーの時代、ミシャサッカーの時代を戦ってきた選手たちや文化との決別を進めていくという方針にも取れます。だとすれば、オリヴェイラ氏の文脈に位置づけられる大槻監督自身が世代交代を必要とする一人のはずであり、これは結果に加えて世代交代を要求する理不尽さではなく、次の10年を「速く、激しく、外連味なく」の時代にしていくために当然必要なプロセスであるとも捉えるべきなのかもしれません。つまり彼らに言わせれば、これは迷走ではなく新しい(そして古い)スタイルの継続が始まるポイントであり、立花氏は、もしかすると10年後に振り返るときには彼が「速く、激しく、外連味なく」のレッズスタイルを確立させた中興の祖であると評価されるような、そんな青写真を持っているのではないでしょうか。

いずれにせよ、少なくともピッチ上の方針については、大槻監督がこの2週間で準備し、我々に見せてくれるものが一つの指針となるのでしょう。それを見て初めて、ミシャとの5年を含めたこの10年間が忘れたい過去なのか、遠回りをしてでも学びを得た10年なのか、それとも単なるモラトリアムだったのか、その答えが徐々に見えてくるのだと思います。

 

個人的な感想

この考察には、後からでは何とでも言えることしか書いてありません。それでも、後からでは何とでも言えることの中にも、改めて理解すべきことがあると信じて、この10年余を自分なりに振り返ってみましたが、いかがだったでしょうか。

浦和は2018年にようやくクラブとして、選手としての理念を策定しました。ピッチ上の方針には言及がありませんが、クラブの在り方への組織としての一つの所信表明なのでしょう。個人的には、これは素晴らしい取り組みであり、一度決めたのだから将来に亘って守っていくべき指標のひとつだと受け止めています。トップチームの成績とは別に、クラブができて以来浦和レッズが連綿と紡いできたピッチ内外の活動とその歴史は疑いようもなく素晴らしいものであり、これからも将来につなげていくべき文化と資産です。サポーターもこれを理解し、クラブと共に応援していく必要があるし、その価値があるものだと思います。

ところで、理念の中には非常に挑戦的な、そしてこれまでと同じ問いを含む言葉が、クラブの宿命かのように刻まれています。

今後の25年に向けたビジョン

あらゆる分野でアジアナンバー1を目指す

あらゆる分野でアジアナンバー1のクラブとなるために、どんな道のりを選ぶのか。どのような歩みを刻むのか。

思えば、2006年のリーグタイトルと2007年のACL、そして2016年の年間勝ち点1位と2017年のACLタイトルは極めて対照的で、あまりにも違う色をしています。浦和に関わる人であれば、誰であれ二つ目のシャーレと3つ目のACLトロフィーを夢見るでしょう。それがどのような輝きなのか、どのような戦い方で掴むタイトルなのか。そしてどのようにして、25年後に浦和レッズがアジアナンバー1のクラブであるのか。今の僕たちには到底想像は出来ませんが、それでもクラブは進んでいきます。今回僕が考察したように、「速く、激しく、外連味なく」の時代に回帰していくのか、それともフィンケ時代に夢見たアクションサッカーを取り戻そうとするのか。クラブの代表人事権が外部からはブラックボックスである以上、我々にはある意味選択の余地はありません。しかし、だからと言って、鈴木啓太氏が引退時に語ったとところの「最後にクラブと共にある」我々サポーターが何も意見を持たなくてよいのか。母数の多さゆえに意見をまとめることは夢物語のように難しいのかもしれませんが、サポーターはそのリアクションを通じて、クラブを後押しすることだけでなく、引っ張ることもできると信じています。

最後に個人的な意見を書き残したいと思います。僕自身はボールを持つのか持たせるのか、アクションかリアクションか、もしくは4バックか3バックかという対立項を立てることは、そもそもクラブ哲学を考えるにあたっての設定として間違っていると考えています。バルセロナのようにボールを持ち続けることをクラブのスタイルとするには、それに見合い、さらに結果を出せるリソース(監督と選手)を集めるのに膨大な費用が掛かります。逆にボールを持たせるリアクションサッカーを選んだとしても、最終的に相手の息の根を止めるスコアラーの質やコンディションにチームの成績を託すことになるでしょう。また、そもそもサッカーの潮流はカウンターかポゼッションかの二項対立から、どの場面でもいかに最適な選択肢を選ぶかが重要なゲームになってきています。選手の質が上がるにつれて、「何かしかできない」というチーム自体生き残れなくなっていくのかもしれません。どのような戦術、監督を選ぶにしても、ミシャに見たように任せる人材の色が出るのは当然であり本質です。自分たちの哲学として選んだ戦い方が、ルール変更や競技の潮流に合わせて通用しなくなった際に、自己否定に陥るリスクも考えられます。そうであれば、クラブがあえて自分たちの戦い方を縛ることが果たして最良なのか、僕には自信がありません。

文中では立花代表の思想が15年前に回帰するものであり、それが大転換だと書きましたが、もっと長い歴史を持つクラブであれば、こんなことは普通のことではないかと思います。何か一つのやり方を貫き続けるというのはとても難しく、そして競争上危ういことだとも思います。そうであるならば、特定の戦術を組織の哲学とするのではなく、何を評価するのかを哲学とすべきではないでしょうか。突き詰めて言えば、何が好きか、どんなプレーにスタジアムが沸くのか。浦和でいえば、やはりドリブラーが仕掛ける瞬間、最終ラインのファイターが相手を潰し、身を挺してゴールを守る瞬間。どんな戦術を選ぶにしても、こういった瞬間を愛し、それができる選手を評価する。そういった価値観が、そのままクラブの哲学になっていくのではないかとぼんやりと考えています。加えて、クラブとサポーターの付き合い方にも独自の色が出るのではないかと思います。いろいろな意見があれど、浦和の勝利のために駆け付け、声で戦うサポーターと、ときには厳しいその声を受けてさらに力を発揮できる選手。こうした、(僕の理解するところの)浦和の原風景こそが、クラブの価値観、哲学になっていくべきではないのかなと、今のところは考えています。

また、クラブが15年前の方針「速く、激しく、外連味なく」を取り戻そうとするのだとしても、望みたいのは15年前からアップデートされた形での、新しい「速く、激しく、外連味なく」であってほしいということです。歴史を遡れば、多くのものごとは二項対立の中を振り子のようにいったり来たりするものです。そうであっても、これまでの10年間の学びを反映した揺り戻しであってほしい。螺旋階段を上るように、一見同じ場所を行ったり来たりしているように見えても、過去から学び、絶えずアップデートされていれば、それは15年前やここまでの10年間からの前進と言えるのではないでしょうか。

 

最後まで長文をお読みいただきありがとうございました。