96のチラシの裏:浦和レッズについて考えたこと

浦和レッズの試合を分析的に振り返り、考察するブログ。戦術分析。 twitter: @urawareds96

『アナリシス・アイ』の感想と「知っているものしか見えない」ことについて考えたこと

アナリシス・アイ

カテゴリ上「書評」ということになるこの記事ですが、「書評」なんて偉そうな立場をとるのは僕にとって極めて恐れ多い本ですね、これは。

アナリシス・アイ サッカーの面白い戦術分析の方法、教えます (小学館新書)
 

 僕が戦術分析の世界というか、分析的なサッカーの見方の世界を知ったのはらいかーるとさんの欧州サッカー分析とpal9999さんの日本代表分析だったような気がします。それまでの自分の見方とは全く違うゲームの見方があることを知って、すごく興奮しお二人の過去の記事を読み漁ったのを覚えています。でもその時はまさか自分でもやろうとは思わなくて、自分で実践して言葉に残すという行為、要はこのブログを始めるまでには結局その後すごく長い時間がかかったのですが、まあそれはそれで。

当ブログを読んでいただいている皆様はもしかしたら当時の僕のように、「普通と違う、でも説得力のあるサッカーの見方」をニーズにお持ちなんじゃないかなと思うのですが、もしそうであればらいかーるとさんとこの本の存在をよくご存じなはずで、今更こういうポイントがおすすめですということを書かずともすでに手元にこの本があるかもしれません。

ということで、今回はらいかーると流でちょっと力を抜きつつ、僕の感想とこの本をきっかけにいろいろと考えたことについて書き残していこうと思います。

 

指導者が語る、サッカーの観察の仕方

この本を読んでいて強く感じたことが、やっぱりらいかーるとさんは指導者なんだなあということです。彼の独特の文体や言い換え、言葉の作り方は、一貫して易しい。サッカーというスポーツの本質的な部分、つまり人間の限界とか、構造上どうしてもそうなる原理とか、そういう部分を深い洞察で浮かび上がらせながら、でもそれを表現する言葉はどこか語り掛けるような雰囲気に溢れています。例えば、図中でフォーメーションやピッチ上の状況を示す「駒たち」の一部が台詞を持っているのも本書に特徴的なことかなと思います。これも、学問的な図というよりは、普段の指導現場で選手たちとイメージを共有するための絵として示されているのではないでしょうか。「これはサッカーだから、ボードで僕たちが見ているのは単なる駒ではなく人なんだ。もっと言えば、この「駒」は明日の試合の君なのかもしれないよ」というメッセージが、あるのかないのかはわかりませんが、このあたりはやはり指導者として、自分と同じ目線をまだ持たない選手たちと普段からそのようにコミュニケーションをとっているのが出ているのではないかなあと感じました。学問や研究としては素晴らしい文体ではないかもしれないけれど、「ああわかる!」「想像できる!」が連続する楽しさがある。その意味でこの本は分析の手法をテーマにしながら、彼が見ているサッカーの本質的な部分を「教えてもらっている」本なのだと思います。

だからか、分析の方法論を知る本としては、「手法」は意外なほどにシンプルにまとまっています。本書でまとまっている分析の手法(how to)は7項目に整理されていますが、それもこの本を読まなければ知れないような特別な手法はほとんどありません。誰でもとまでは言わないまでも、サッカーの観察をしてみようと思えば必然的に多くの人が行き当たるような、普遍的なことがシンプルにまとめてあります。

余談ですが、個人的には「後半より前半の方が見ていて「面白い」」という感覚をらいかーるとさんもお持ちなのだと知って嬉しかったです。自分の記事を見返していても、前半にほとんど全て説明してしまって、後半は「構造は同じで、選手が疲れてきたのでスペースがたくさんありました」みたいな感じになってしまうことが多かったので。ただこれは、キックオフまでは戦術の準備を出来るけども、前半・後半や0分〜30分、31分〜60分、61分〜90分+αのという時間軸の中で相手の出方に応じて自分たちのやり方を変える、反応するということがまだ苦手という日本サッカーの特徴もあるかもしれません。ようはジャンケン出しっ放しで試合終盤まで入って行っちゃうというか。まあ、日本サッカーに限らず欧州でもそういう試合は割と多いのではとも思うのですが。余談終わり。

分析の手法が非常にシンプルにまとめてある代わりに、ピッチで見つけるべき現象は実践的かつ具体的に解説されているのが本書の特徴です。サッカーの原理からして、なぜこの場面が重要なのか、その場面に対してどんな選択肢があるのか、なぜそのプレーが効果的なのかが、分析手法の3倍以上のボリュームで語られています。特にらいかーるとさんのこだわり(彼のブログのアドレスがbuilding-up.comなのは本当に気が利いているというか、「その時」すでに優れたビルドアップで確保した優位性をファイナルサードに持ち込むことが決定機を生み出すという洞察があったのだなと思うと本当に凄いとしか言いようがないです。)であるビルドアップの方法論やビルドアップの重要性にかなりの分量が割かれているのが本書の個性というか、らいかーるとさんの本だからこそという感じです。

結果として、読んだ後に抱く感想は「サッカーが観たい!」だと思います。もしくは、「分析をやってみたい!」か。らかーるとさんに教えてもらった場面を自分でも見つけたい、一連の流れから今日知ったこの場面を「分けて」、「整理」したいと思わせてくれるのは単純に素晴らしいなと思います。それは、たった7つのhow toと、90分の中で見つけるべき現象が具体的に、分かりやすく示されたことで、何をどう見れば良いかがわかるからなのでしょう。そういえばこれもまた、指導者としてのアプローチに似ている気がします。僕も昔バイトで塾の先生をやっていたけれど、自分がうまく教えることができたとき、生徒は「はやく問題に取り掛かりたい!」となります。これから取り組む対象(それはサッカーの試合であり、テキストの練習問題である)がどんなものか理解し、それをどう料理すればよいか知り、納得したとき、人間の反応は「はやくチャレンジしたい!」と実践に向くのではないかと思います。

 

ふと思い出す、「知っているものしか見えない」論

らいかーるとさんにその意図があったかどうかはわからないのですが、本書を読んでいて「人間は知っているものしか見えないのだ」という話を思い出しました。上述した通り、本書には90分の中で見つけるべき、つまり、「知っているべき」現象の説明とその解釈のヒントについて、非常に多くの頁が割かれています。これはつまり、分析のhowを共有するだけでは不足で、らいかーるとさんが何を見ているか、つまりwhatに触れる、知ることの重要性を物語っているように感じます。らいかーるとさん自身、あとがきの中で、「知っているものが見える」に近しい経験について語っていらっしゃいます。

「サッカーの試合を見ている時、こんな体験をしたことがあります。ある瞬間にふと、今までは目に留めなかったプレーや景色が、急に色を伴って現れるのです。きっと、試合を延々と見て多くの現象を記憶するにつれ知識が増えていき、ある点を超えた時に、サッカーがまるで別のスポーツのように見えた瞬間なのでしょう。」

このwhatを知っていることの重要性について思い出すのは、人間の性別を決定するX染色体とY染色体は、それまでも顕微鏡を通じて多くの研究者の「目に入っていた」のに、染色体が性を決めるという仮説の提唱者の一人であるネッティー・マリア・スティーブンズさんが「見つける」までは誰にも「見えていなかった」という、割と有名な話でしょうか(知らない人のブログで申し訳ないのですが、ぐぐったら参考になる記事がありました)。

hama-1987.cocolog-nifty.com

これはサッカーの試合でも、まさに同じではないかと思います。同じ試合を見ても「見える人」と「見えない人」がいるのには、こういう原理があるのかもしれません。そう考えると、アナリシス・アイと銘打ったコンテンツが、分析の手法そのものに加えて、我々は何を見るべきか、という論点に労力を割いているのも納得がいきます。もっというと、戦術ブログと呼ばれるコンテンツのニーズにも。

つまりは、これらは「見つけて、知らせて」いる。誰かが見つけてくれれば、みんなが見えるようになる…。サッカーを上手くなるためには、サッカーをしよう!という戦術的ピリオダイゼーションの発想が日本にも徐々に輸入されつつある中で、「見える」ようになるために見よう!ではなく、知ろう!となるのは少し皮肉っぽい気もするけれど、個人的にはこれはこれで面白いし、個人的にはすんなり腑に落ちるんですよね。

 

抽象化と因果論理の重要性

一方で、先程の知らない誰かのブログが指摘している通り、最初に「見つけた」人、つまりY染色体におけるネッティー・マリア・スティーブンズさんのような人が存在するのも事実なんですよね。科学の世界では、この最初の一人が大きな価値を持つわけです。かたやサッカーやスポーツ分析の世界では、観察対象を一定の条件に整理することが前提の科学ですら難しい「見つける」という行為を、基本的に二度と同じ姿(シーン)を見せない(完璧な再現性がない)環境の中でやっていかなければいけません。

とはいえ、方法はあります。全く同じ姿(シーン)は見せなくても、構造的に同一と言えるシーンにはわりと出会うことができます。つまり、目の前のシーンを抽象化して認識すれば、何が起こっているかは十分に「見る」ことが出来る。これについてはらいかーるとさんは本書の中で、次のように触れています。

「我々は試合中に繰り返される局面を観察し、どちらのチームの内容が良いかを判断すべきです。そして、その判断根拠は決定機の数と決定機に至るまでの再現性となります。再現性を発見するコツは、「相手の配置に対して、どのようなルートで前進しているか」と、相手のプレッシングのルールに対して、どのように局地戦を攻略しているか」をヒントにするとよいでしょう。

そう考えてみると、本書の文中で多用される図は非常にシンプルで、デフォルメされているものばかりです。簡単にいえばこれこそが抽象化というわけですね。ちゃんと「知ってい」れば、その瞬間その瞬間の具体的な選手の配置、その微妙な距離感は重要ではないとも言えます。そうすると、僕がブログを書くときに性格的にどうしても気にしてしまう、「その瞬間を表す写実性」とかそういうこだわりは、実はいらないのかもしれないですね。

ちなみに、「見える」ことと同じくらい重要なのは因果論理です。状況が「見えた」だけでは実は不十分で、らいかーるとさんは本書ではあまり強調していなかったかもしれませんが、「見えていること」=「知っていること」の強みは、予測という形で活かさなければいけないと思います。次に何が起こるか見えてこその「アナリシス・アイ」なのだと僕は思うのです。そして、今「見えている」シーンとこれから「見える」シーンを繋ぐのは、まさに因果論理という接着剤に他ならないでしょう。

この点について、未来の予測という形ではないものの、らいかーるとさんが現象と現象をつなぐ因果論理を非常に丁寧に拾いながら論を進めているのに気が付きます。彼の状況解説には「だから」「なので」が頻発します。因果論理を示すこれらの接続語が、なぜこのシーンを「見える」べきなのか、なぜ重要なのかをわかりやすく伝えてくれているわけです。

それが自覚的にか感覚的にかは分からないですが、多くの試合を見て、分析記事としてまとめるというアウトプットを繰り返す中で、らいかーるとさんは知識と因果論理という武器を磨き、ピッチ上の今と未来を「見える」眼を鍛えているのだと感じました。本書がそこまで狙いにしているとは思わないけど、もし彼のような「アナリシス・アイ」の持ち主になるのであれば、この両方の能力が決定的に重要になるのだと思います。

 

改めて、分析という行為について

分析という言葉の意味を調べると、こんな感じになっています

ぶん せき [0] 【分析】

( 名 ) スル
 ある事柄内容性質などを明らかにするため、細かな要素分けていくこと。 ⇔ 総合 「事態を-して対処方針立てる」
 知的活動過程方法の一。所与対象表象概念などを、それを構成する部分要素条件などに分け入って解明すること。 ⇔ 総合
 物質に含まれている成分種類や量を化学的物理的求めること。 〔化学用語として「舎密開宗」(1837~47年)に載る。「和英語林集成」(1867年)に訳語として analysis とある〕

  (分と析の)漢字の示す通り、物事を分解して整理するのが分析です。そう考えると今更ですが、そもそもサッカーは一つ一つの動作が繋がっているので、プレーを一つ一つの要素に分けていくハードルは高いのでしょうね。でもそうやって分けて整理していくことで、何の意味もなさそうなランニングに意味が見つけられたりする。ゴールの瞬間の5秒前に勝負が決まっていることを理解できたりする。そしてそうした分析眼と理解に基づいて長期的なクラブ・チームの歩みを観察すれば、序文でらいかーるとさんが言う通り、分析的な観察は、より深い楽しみの源泉となるわけです。

サポートしているチームが正しい方向に進んでいるか否かを把握できれば、サポーターが監視者として機能します。チームを運営している人たちもごまかしが利かなくなります。結果が出ているからいいよね!ではなく、そのチームが良いとされている理由をピッチで起きていることからわかるようになっていけば、日本は間違いなくサッカーの強豪国になると思います。

 これ、すごく大事だと思いました。自分が浦和レッズのことをより深く見ようと思うときの理想に近いです。浦和がなぜ良いのか?なぜ悪いのか?よく見えるけど本当は悪かったり、悪く見えるけど本当は良くやっていたりする。ここを深堀し、自分なりの審美眼を持って、クラブをサポートしたい。それがクラブを引っ張ることになる気がする…、まあ、自分が好きでやっている行為にあまり大きくて重い意味付けをするのは良くないと思うので、あまり偉そうなことは言わないように気を付けたいのですが。

ところで、分析のほかに、僕が今後使っていきたいと思う言葉があります。それが、「解釈」です。

かい しゃく [1] 【解釈】

( 名 ) スル
 語句物事などの意味・内容理解し、説明すること。解き明かすこと。また、その説明。 「正しく-する」
 物事や行為などを判断理解すること。 「善意に-する」

これは特に、僕のような素人ブロガーが試合をちょっと細かく語るのに都合の良い言葉ではないかと考えています。つまり、プロの「分析」というほどまであらゆることを詳らかにはできないけれど、自分はこの試合で見られた現象の繋がりと、その論理をこれこれこういう風に受け取った…と理解することはできる、みたいな感じで。結局、サポーターという立場で、公式戦の90分+αだけでクラブやチームの取組を語りつくすことは根本的に不可能なわけです。それでも自分が理解したことを誰かと共有したくて、何かに残しておかないともったいないからブログなりなんなりを書いているわけですが、僕自身自分のやっている、やってきた行為は「ゲームの解釈」の記録なのだなと考えて自分ですごく腑に落ちました。

そもそも「戦術分析」という言葉も、「戦術」と「戦略」の違いをあいまいにしてしまうところがあるし、「ゲーム解釈」という表現を今後は使っていこうかなあと思ったりしています。

 

最後何の話かよく分からなくなりましたが、らいかーるとさん、アナリシス・アイを書き上げてくださってありがとうございました。そしてみなさん、最後までお付き合いいただきありがとうございました。