96のチラシの裏:浦和レッズについて考えたこと

浦和レッズを中心にJリーグの試合を分析的に振り返り、考察するブログ。戦術分析。

サッカーを観る目を養うためのとっかかりの話

お久しぶりです、96です。チラ裏は一度スイッチがオフになるとしばらく書くのがおっくうになってしまうのですが、今年はもはや書いていない期間の方が長くなり、本当に自分はあんな大量の文字をタイピングしていたのかと疑わしいほどになってきました。という話はおいておいて、そういえば先日こんなリクエスト/質問があったのを思い出しました。

これ、時々聞かれるのですがそのたびに「そのうち書く」みたいな逃げ方をしていつも書いていないのが心の中の埃となって積もり始めてきたので、ついに書くことにします。どこまで面白い話になるかは別として、「僕はこんな風に観てきたから、こんな風にとっかかりを見つけられるかもよ」という話になればいいなあと思います。

「観る」ことを分解する

こういうhow to みたいな話をするときに、まず重要なのはゴールの設定です。要はこのhow toを取り入れて、何が出来るようになるか、という部分の認識のすり合わせですね。

で、僕はサッカー観戦の話をするときに「観る」という字を意識的に使っているのですが、その「観る」をうまく分解できたら認識のすり合わせに役立つかもしれません。
「観る」と言う字を意識的に使うのは、僕にとってサッカー観戦というのは「観察する」行為に近いものだからです。つまり、両チームの振る舞いを観察しているということなんですが、この「観察」と言う言葉はなるべく大事にしたいと思います。辞書で意味を調べてみると、

かん‐さつ〔クワン‐〕【観察】 の解説
[名](スル)
1 物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること。「動物の生態を―する」「―力」
2 《「かんざつ」とも》仏語。智慧によって対象を正しく見極めること。

こんな感じらしいです。1の意味がここで言う「観察」ですね。ポイントは2つあって、「状態」、そして「変化」になりそうです。サッカーの試合に限らずですが、何かを見て理解しようとするときに、「状態と変化に注意すること」はとっても大事なので、ここを重要ポイントにするのは結構良さそうです。

では一方で、2の「正しく見極める」という意味はどうでしょう。個人的にはここまでの意味を持たせると、ちょっと傲慢かなと思います。サッカーの試合においては、(応援の力が~みたいな話をいったん脇に置いておけば)あくまで僕ら観戦者はゲームの外側にいる存在です。外側からどれだけもっともらしく見えても、実際のことは中にいる人しかわかりません。浦和で言えば今季加入した平野が「いつそこ見てたの?!」みたいなパスを出して、それを僕たち外野が「平野の視野は素晴らしい!うんたらかんたら!」みたいな風に絶賛するわけですが、いざ本人に聞くと「(予測に基づく)マグレです」みたいな回答をすることもあるわけで、外側から「正しく見極める」というのはかなり難しいし、そこまでできると思ってしまうのはちょっと傲慢と言えるかもしれない、と思ったりします。余談ですが、こういう考えがあるので僕のチラ裏はよく「~だったかもしれません」みたいなすっごく微妙な語尾で終わることが多いです。だって本当のところはわかんないんだもん。

というわけで本題に戻ると、このエントリを読んでも「今の場面はこうである!」とはなかなか言い切れないかもしれません。というか、言い切らない方がいい気がします。だけど、「客観的に観た結果、こういう状態がこういう変化をしたっぽいよね」みたいなことが出来るようにはなりたいなあと思います。それでは中途半端ではないか!と言われそうですけど、そこから先、自分の経験や知識からして間違いないと思えば言い切ってしまってもよいと思います。それに対して「いや違うねん、それはな」みたいな感じで反論があればそれはそれで面白いし、そういう議論を誰かとするときに最低限状態と変化が客観的に捉えられるようになればそれで十分以上ではないでしょうか。僕も実際、Twitterで話すときは文字数を理由にがっつり言い切ったりするので、観えた先のことは成り行きに任せましょう。

というわけで、先に進みましょう。「状態と変化」をがんばって見つけようということはわかったので、今僕たちはそれが出来るようになりたいわけです。状態と変化を比べたとき、「変化」を見つけるのはなんとなく難易度が高そうなので、まずは「状態」から攻めましょう。「状態」をどうやって捉えるか?がまず最初のポイントです。

「状態」を捉えよう

なんかまだまだ抽象的な話が続くな~って感じですが、もう少しお付き合いください。「状態」を捉える時に、まず何をするか?の話です。

僕自身のことを振り返ってみてもそうなんですが、ここがたぶん最初に躓くところだと思います。「戦術わかりません」と自己申告するかどうかは別にして、だいたいの人が「状態」をわかってません。というか、知らないんです。特にサッカーをプレーヤーとしてやってこなかった人はここが大変です。今目の前で起きているゲームがどういう「状態」か、テレビで映っている局面がどういう「状態」か、感覚的な手掛かりがないので、その良し悪しを判断できないわけです。僕がサッカーを観始めたころに一番もやもやしたのがここでした。とはいえ、もちろん、明らかにわかるところもあるんです。例えばカウンターや裏へのパス一本でFWの選手が抜け出してGKと1対1の「状態」とか。これは明らかに点が入りそうで、自軍が攻めであれば大チャンスだし、自軍が守りであれば大ピンチです。それはわかります。だから声が出るし、おしりも浮くわけです。問題はこんな感じで誰の目にも明らかな「状態」になる前、もっと欲を出せば、2つ前か3つくらい前にそれを感知して「ふむふむ」みたいなことを言いたいわけです。ただこのとっかかりがないわけです。

別のスポーツの例で恐縮ですが、野球はこの点結構わかりやすいのでいいですね。例えば1ボール2ストライクの場面。ストライクが3つで打者はアウトですから、今この打者には後がありません。あと1球ストライクが入ると自分はこの打席では死んでしまうので、なんとかバットに当てたいわけです。いいところに来た球を見逃すのは基本的にあり得ません。なので、打者はバットを振りたい。対するバッテリーにとっては、まだ1ボールなのでフォアボールまであと2回は遊べます。というわけで、めっちゃ打ちに来る打者相手に打ちやすいところに投げる必要はありません。例えばストライクと見せかけてボールになるような変化球とか、ストライクゾーンの枠ギリギリの際どい球とか、リスク高めの配球を選べます。つまりこの1ボール2ストライクという状況は、バッテリー有利な「状態」。なんなら、次にどんな球が投げられるかまで予想できそうです。しかも、野球はこうした「状態」が段階的に変わります。同じ場面で投手がボール球を投げたとして、次の「状態」は2ボール2ストライクになるわけです。この「状態」はあと1球ボールだとフォアボールが近づいてきて投手側もヒリヒリしてくるので、バッテリーの有利感が少なくなってくるわけですが、要は野球は投球ごとに「状態」がはっきりと、紙芝居的に変化するので、みんな「あ~今こういう状態だから、こっちが有利」とか、「あ~次こういう状態になると不利だから、今のうちから…」なんでことを言いやすいわけです。これが、サッカーにはないのが問題です。

サッカーの話に戻ると、野球のようにプレーのフェーズ分けが段階的でないので、「状態」が刻一刻と変化します。しかもその変数はお互いのチームの選手合計22人+ボール。22人と一つのボールがどこでどうしているかがお互いに影響し合って、ピッチ上の「状態」が目まぐるしく変化するので、いつなにがどうなったか、次になにが起こるのかを追いかけるのが難しい。いわんや、『2つ前か3つくらい前にそれを感知して「ふむふむ」みたいなこと』を言うなんてめっちゃムズイ。そもそも「2つ前か3つくらい前」って、何基準の「2つ前か3つくらい前」なんだよ、となるわけです。

僕が躓いたのもまさにこの点でした。例えば任意の再生時間でDAZNを一時停止したとして、「この状態ってどっちが有利ですか?」みたいなことを誰かに聞きたくてしょうがなかったのを覚えています。僕は父親が野球好きだったのもあって小学生くらいまでは野球をほぼ毎日観ていましたから、野球なら一発で分かるわけですよ。ノーアウトランナー2塁、カウント3ボール1ストライクで打者3番ならまあ明らかに攻め側有利、みたいな。こういうの、サッカーにもないんか!というのが、当時の僕のもやもやなわけです。

で、答えに入っていくと、サッカーにも「こういうの」はあります。というか、あると思います。ですが、野球の「状態」とは違うものとして現れます。それは流動的で、グラデーションで、見つけたときにはまともなコメントができないくらい一瞬の出来事として現れます。「じゃあムズイじゃん!」というのはそうなんですが、気を付ければ見つけられるレベルの特徴もあるので、全然無理ってわけでもありません。その特徴は「基本的にいるべきところに人がいないこと」です。サッカーは11人で埋めるには広すぎるフィールドで行うスポーツです。なので、そもそも完全防備は難しいです。そういうわけで、サッカー何百年の歴史を端折ってしまうと、だいたい2パターンの守り方が定着しました。3バック(5バック)と4バックですね。中盤や前線の枚数がどうのこうのはこの際置いておくとして、3バック(5バック)と4バックにはそれぞれ人が立つべき位置があります。ここからはわかりやすく4バックで話を進めましょう。

4バックは文字通り4人でGKの前に立つフォーメーションですが、真ん中担当のCBが2枚、左右のサイド担当のSBで構成されます。ざっくりいくと、4バックで守るとき、真ん中担当のCBが真ん中にいなければヤバいです。真ん中担当は二人でなんとかするべという約束なのに、ひとりいません。つまり、カバーしたいエリアの半分はカバーできません。失点する可能性が倍!(当社比)ヤバいです。こういうのを見つけて行けば、「良い状態」「悪い状態」がわかってくる、というわけです。

そんなことはわかるよと言われそうですが、僕はわかってませんでした。というか、今そこにいる人が本来そこにいるべき人か、元々のポジションがどこかわかってませんでした。これ、結構サッカーを観てる人でもそうなんじゃないかと思います。そのくらい、サッカーは変数が多くて場面が一瞬で変わるし、そもそもボールを追いかけているとボールから5m離れた人が誰かもわからなくなるスポーツです。そうかも…と思いませんか?「OK、じゃあわかってないかもしれないのは認める、どうすりゃわかるようになるのよ」と話が進むと嬉しいのですが、いいですかね。CBがいるべきところにいない理由、それは、「ぜんぜんわかってない」か「いるべきところを捨ててでもやらないといけないことがある時」です。つまり、「そもそも役割をわかってない」場合を無視すれば、何か役割があってそのCBは持ち場を捨てているわけです。例えば、典型的なのは、SBのカバーです。自分の隣のSBの選手がどっかに行っていて、サイドから攻められてるけど誰もいない!という時に、CBは持ち場を離れていきます。ゴール前で待ち構えるよりも、サイドで先に相手の選手を潰した方が良かったり、潰せそうなときですね。あとは、ロングボールの競り合いやなんやで中盤のプレーに参加している時なんかもそうです。こうやって横に行ったり前に行ったりして、持ち場にいない選手がいるときは何かが起きそうなときです。つまり、僕たちが観察すべき「状態」とは、「みんなが持ち場にいるかどうかチェック」に近い、と言えないでしょうか。こう言い換えると、なんか出来なくはなさそうですよね?

ちなみに、CBが横に行ったり前に行ったりするとやべー「状態」になるので、それを嫌うチームもあります。そういうチームはどうするかというと、いくつかパターンがありますが、例えばSBがどっかに行っていてサイドがら空きでヤバい時はボランチの選手が死ぬ気でサイドを埋めろ!というルールを採用していたりします。2020年の大槻監督のレッズはこれでしたね。こうすると、CBが横に出て行かなくてもボランチが命を削ってスペースを埋めてくれるので、CBが動かず真ん中の守備が安定します。ただ、ボランチが疲れますし、間に合わないと「あーどうしようこの場面授業でやってない!」ってことになりがちです。もしくは、ボランチの命を削るのは嫌だし、めっちゃ動けるCBが俺達にはいるぜ!というチームもあります。そういうチームがどうするかというと、CBが横に出てもいいけど、空いた真ん中だけはボランチが速攻で下がって埋めよう、みたいなルールにすることもあります。どっちかというとこっちがオーソドックスな方法かもしれません。ただ、このルールはボランチがサボると破綻します。サボるというか、CBが横に出て行ったことで空くスペースはその時その時の相手の動き方や相手の位置で違うし、それはたいてい一瞬のことなので、どこを埋めるべきかの判断が求められます。この判断が難しい時があるし、判断ができても埋めるべきポイントが物理的に間に合わない場所だったりします。ちなみにちなみに、「そもそもなんでSBはどっか行ってるんだ」という話ですが、これにもいくつかあります。わかりやすいのはいわゆるオーバーラップの直後、前に攻めに出て行った後に戻ってこれないパターンです。もしくは、相手がサイドに3枚も4枚も選手を集めて、マークの数が足りねえ!ってなってるかもしれません。もうわかると思いますが、今僕が例示したようなルールや動き、その一つ一つが戦術と呼ばれるものです。というか、僕はそう理解しています。その動きに名前があってもなくても、いろいろなやり方とメリデメ(サッカーは基本的に11人vs11人のゲームなので、メリットしかない動きはほぼない)の中で、誰がどんな動きをするか、どんな理由で誰が持ち場を離れて、そのカバーをどうするか、その動き一つ一つ、もしくはそれらがパッケージになったものが戦術と呼ばれるもので、その結果として僕たちが探すべき「基本的にいるべきところに人がいない」場面=「状態」を生み出すわけです。逆から言えば、良いにしろ悪いにしろ何かしらの「状態」=「基本的にいるべきところに人がいない」場面を見つければ、その周辺や一瞬前にはどちらかのチームが採用している戦術がその因果としてあるはずです。これが、ぼくの考える「観る」ということの一端です。

「状態」を知ろう

なんとなくわかってきた!と思ってもらえればいい感じなのですが、どうでしょうか。どんなものが観るべき「状態」かわかったところで、もう少し踏み込んでいきましょう。「みんなが持ち場にいるかどうかチェック」をすればいいことはわかりましたが、とはいえサッカーの試合はほとんど止まりません。しかも放送される試合映像はたいていピッチ全体を映してくれません。「みんなが持ち場にいるかどうかチェック」をしたいのに、「みんな」がそもそも画面にいない!という問題がよく起こります。「でも試合は進んでいるし、俺たちはそれについてドヤ顔で語りたい!」そう、この夢が消えることはありません。なので、なんとかしましょう。一番良いのは現場でサッカーを観て、好きなところを好きなだけ注目することなのですが、そうもいかないので、武器を使います。それは、知識と経験です。

上述の通り、あるチームが採用している戦術の結果として僕たちが探すべき「基本的にいるべきところに人がいない」場面=「状態」が生み出される、というのが僕たちの理解です。つまり、そのチームがどんな戦術を採用しているのかわかれば、その結果として生み出される「状態」もある程度想像がつきます。例えば、SBにオーバーラップをガンガン仕掛けさせるチームだと知っていれば、じゃあそのSBが帰ってこれない時はどうしているんだっけ?どういう「状態」になるんだっけ?と言う風に確認を事前にしておけば、該当する「状態」を素早く認知できるかもしれません。そうして事前に確認しておけば、あっSBがオーバーラップしたということは、その後に起きるのは…という風に展開を先読みできます。しかも良いことに、いくつかの戦術はメリットにバリエーションがあっても、デメリットは同じようなものであったりします。例えば、SBが前方中央に上がっていくインナーラップと、追い越していくSHの外側を走るオーバーラップのように。メリットはそれぞれですが、大きなデメリットは要はSBが前にいて帰ってくるのに時間がかかるということです。つまり、戦術の数ほど見つけるべき「状態」のパターンは多くない可能性があります。もしくは、代表的な戦術のメリデメ、誰かどこに動くかが頭に入っていれば、見つけるべき「状態」にアクセスしやすくなるかもしれません。つまりは、そうした戦術と「状態」の因果関係を知識として、もしくは経験として知っていれば、ピッチ上の「状態」を速攻で脳内検索して理解できるかもしれない、というわけです。

もう明らかですが、これがサッカー経験者とそうでない人をわかりやすく分けているポイントではないかと思います。本人が言語化できているかは別として、サッカー経験者であれば戦術(もしくはチームのルール)とその後に引き起こされる「状態」の因果と、その良し悪し(ヤバいとかツラいとかイケそうとかイケなさそうとか)を体感的に理解できています。もっというと、どんな「状態」の時にそれに関わる選手たちがどんな感情か、次にどこを見るか、何が出来て何が出来ないかということも類推できます。それが言葉や体系的な知識になっていなくとも、感覚的にそういうことがわかるのは、「観る」上でとても大きなアドバンテージです。というわけで、あなたが経験者ではなくそういった体感的なものがないのであれば、やはり多くの試合をみて、戦術と「状態」の因果を知識として習得していく必要があると思います。逆に言えば、サッカー経験者であっても体感的な理解を言語化出来なかったり、戦術と「状態」の因果を認知出来ていなかったりすると「わかるけど言葉にはできない」という状況になるのかな、という気もしますが。

で、「じゃあどうやって勉強すればいいんだい!」というのは、その人によっていろんなやり方があると思います。ひたすらに試合を観まくることで無意識にパターン認識が出来るような人もいるでしょうし、本やらブログやら動画やらで予習するのが合っている人もいると思います。なんでもいいんですが、個人的にはある程度の予習をすることが良いと思っていて、代表的なサッカーの動きをいくつか調べてから実際に映像で確認すると楽なのかなと思います。代表的というのは、オーソドックスなものとも言えるし、その時流行っていてよく試合で見かけるようなもの、とも言えますね。

ところで、その予習にもポイントがあって、その戦術や動きのメリットとデメリット、その後どんな「状態」が引き起こされるのかをよく想像するようにしておくと理解が深まると思います。戦術解説って、メリットとかその効果だけを強調したり、動きのバリエーションが成功したときだけのワンパターンだけでその後の尻ぬぐいをどうしているかとか、上手くいかなかったときのリスクみたいなものに触れていないものもあるので、できれば自分でそこまで意識を向けておくと、実際にゲームを観たときに「状態」を認知しやすくなって、予習の効果も出やすいのではないか、と思います。その試合で起きたことの説明をするだけなら「この戦術でこんな凄いことが起きます!」というのでいいんですけど、実際に自分も「状態」を探せるようになりたい!と思った時には、なんかこの説明だけじゃ足りないかも…というのがよくあるので、足りない部分は想像力でカバー!みたいなことも必要かなという気がします。ちなみに僕自身は想像力でいろいろカバーしたなという気がしていて、それはそれで良かったこともあります。例えばさっきのCB周りの話なんかがそうですが、ある「状態」に対応するために誰かがある種のルールや決まり事に沿って動くので、次の「状態」を作り出します。そうするとその「状態」に対応するために次の動きが起きて…と、選手が物理的に対応できなくなるか、ルールによってゲームが止まるまで動き(戦術)と「状態」の連鎖が続きます。ということは、サッカーのルールと「選手が物理的に対応できなくなる」範囲さえしっかりと認識できれば、自分の脳内でもある程度ゲームを動かすことが出来ます。そうやってボードを使うなり、Tacticalistaで遊ぶなり、プリントの裏に落書きするなりして自分でゲームを動かしていくと、一つの動き(戦術)のメリデメからたくさんの動き(戦術)に理解を派生させられるわけです。もしかしたらこうやって手と脳みそを動かしてみることも予習には効果的かもしれません。

「選手が物理的に対応できなくなる」話が出たので、ついでに「状態」を知ることについて大事なことを付け足しておきます。ここまでみてきた動き(戦術)と「状態」の因果関係は、選手の物理的な対応限界によって繋がれています。つまり、予想した因果関係が合っていても、実際に選手が思った通り動けなければその因果関係は現実にはなりません。しかもやっかいなことに、選手の物理的な対応限界は選手それぞれです。あの選手ならできるけれどこの選手ではここまでできない、ということが往々にしてピッチ上には起きています。この点をよく理解しておかないと、当該選手ではとうてい対応できないプレーを戦術側から要求する、みたいなことが起きてしまいます。いわゆる頭でっかち状態なんですが、僕たちのようなただのファン同士の議論では、この点が置いて行かれることがよくあるので注意だと思います。逆にこの辺りをうまく理解して、それでも成り立つ戦術のパッケージを設計するのが監督やベンチの仕事でしょうし、それが出来るのが結果を出せる戦術家ということかもしれません。逆に、選手の対応限界に配慮するあまり戦術的な設計がおろそかにされるパターンもある気がしますが、それはそれということで。別の見方をすると、そうした対応限界の差が選手の価値を決めているという言い方も出来ます。技術的にであれフィジカル的にであれ、他の選手よりも対応限界が広く、難しい、もしくは大きな負荷のかかる戦術に対応できるのは間違いなくその選手の強みです。好きな選手・嫌いな選手は独断と偏見で決めればよいですが、ある一定の前提を置いて良い選手・悪い選手について議論するときには、こうした戦術と「状態」の因果を繋ぎ、戦術を成立させられる能力があるかないか、というのは大きな評価軸として持っておけると良い議論ができるような気がします。

関連して重要な話として、ピッチ上では選手の対応限界=能力のほかにも、選手のその瞬間の「状態」をも理解する必要があります。いかに能力がある選手でもその瞬間、その場面には間に合わないとか、利き足にボールが来なかったとか、ある選手は癖で身体を捻る時は必ず右回りになってしまうとか、そういった細かい選手の「状態」をピッチ上の「状態」と合わせて考えられると、より実際に近くもっともらしい説明が作れるのではないかと思います。どこまで細かく観るか、観られるかはその時々ですが、自分の経験や感覚からそういった細かいポイントを説明できるようになると、「状態」を理解する解像度が上がり、因果関係として存在する戦術への理解も深まっていくという好循環が生まれるとか、生まれないとか。

さて、こうしてみていくと、「戦術を語る」とか「戦術的に観る」ことにおいて非常に大事なポイントが浮かび上がります。それは、そのチームや選手をちゃんと理解していないと語れないことが多いということです。このエントリの序盤で話したような「みんなが持ち場にいるかどうかチェック」くらいの話であれば、自分のよく知らない世界のどこかのサッカーであってもある程度認知・説明が出来ると思います。ピッチの大きさは世界中でほぼ変わりませんし、選手たちの人間としての対応限界も一部の超人を除けばある程度の範囲、いわゆる常識に収まっていきます。

一方で、より解像度を上げて、ある局面でのプレーの良し悪しについて語ろうとすればするほど、選手の能力や「状態」、チームとしての約束事の優先順位、はたまた前回対戦時のトラウマや前節の結果といったその試合のピッチ上の情報だけではわからない細かいことを考慮しなければいけなくなります。そもそも全世界の選手の能力や聞き足を頭に入れるのも不可能なのに、いったいどうやってそんな細かいところまで語りつくせるでしょうか。というわけで、もしあなたが「サッカーをより深く語りたい、でも知ったかぶりはしたくない」と思うのであれば、まずはひとつのチーム、もしくはリーグに集中して、一定期間継続して情報を仕入れることをお勧めします。例えば僕は浦和レッズについては10年以上ほぼすべての試合を観戦しているのでだいたいのことは理解していますが、プレミアリーグやセリエAについては全然わかりません。なので、浦和レッズの戦術話なら細かいところまで考慮して話せるのですが、海外リーグについては全然語れません。もちろん僕も世界中のサッカーをドヤ顔で語りつくせる人になりたいのですが、残念ながら全部を追いかける時間もモチベーションもないので、海外サッカーについては「すげー」しか言わない人になっています。そんなのは俺の目指す姿ではない!と言われれば頑張れとしか言えないのですが、現実的なところでは自分が好きなチームを一つか二つ、しっかり追いかけるのが限界ですし、そうするのが効率が良いと思います。「観る」ことの精度を上げていく意味でも、自分がわかっているチームや選手の試合であれば、ピッチ上で意識して拾う情報が約半分(相手チーム分+その試合の噛み合わせ特有の事象くらい)となるので、脳みその負荷も減りますし、解像度高く戦術と「状態」の因果を考えられるので理解を深めるのに良いと思います。逆に言えば、世界中のサッカーを観まくっていてあらゆるチームや選手について解像度高く語れる人は、かけている時間とモチベーションがヤバいです。何かを犠牲にしなければ時間も情熱も確保出来ないと思うのですが、一体何を犠牲にしているのでしょう、本当にヤバいですというのは、こんなに文字数を使わなくても普通にわかることでした。

「変化」を捉えよう

さて、書きたいことをベタ打ちしていたら案の定文字数が心配になってきましたが、辞書によると観察の定義が「状態」と「変化」を客観的に捉える、ということは忘れていないでしょうか。「状態」とその周辺の話についてはあらかた話したので、「変化」についてちゃちゃっとみていきましょう。

ここまでで、サッカーにおけるゲームは動き(戦術)とその結果として生み出される「状態」の連鎖であり、その連鎖はルールや物理的な対応限界に制限されるまで続く、と定義してきました。ある動きが戦術的なものであるかどうかは別として(選手のとっさの対応もゲームを構成する重要な要素)、この定義である程度ゲームの構造を示すことができるとしましょう。そうすると、最初の方に出てきた「2つ前か3つくらい前」という感覚的な表現もなんだかわかってきた気がします。要はこの連鎖を素早く見極めて、その先どこに繋がっているかを予測できるようになれば、リアルタイムでゲームを理解できるだけでなく、その先に何が起こりそうかですら、ある程度の精度で予見できるようになってくるわけです。こうなると、ゲームを観るのが「追いかける」ではなく「出迎える」感覚に変わってきます。要は、答え合わせに近いような、自分の理解しているポイントが実際のゲームでどう現れるかを確かめる、という感じです。こうなると、「変化」を捉えるところにまで脳みそのリソースを使えるようになってきそうです。

ここでいう「変化」として、大きく2つの要素をみておきましょう。改めて確認すると、「サッカーにおけるゲームは動き(戦術)とその結果として生み出される「状態」の連鎖であり、その連鎖はルールや物理的な対応限界に制限されるまで続く」ということでした。変化の要素としては、このうち「動き(戦術)」と「物理的な対応限界」になると思います。ルールはさすがに試合中には変わらないでしょうし。で、「動き(戦術)」側の箱にはフォーメーション変更とか、対応の見直し(戦術修正)とか、そんな要素が入っています。「物理的な対応限界」はつまり選手のことで、選手が変われば対応限界、つまり体力とか足の速さとかテクニックとか身長とか利き足とかそういった要素を変えられます。そんなこんなでいろんな要素がありますが、各要素の捉え方は基本的にはこれまでみてきたような「状態」を捉えることとやることは同じなので、How toの部分はバッサリ割愛。予習がちゃんとしていれば割と気づきやすいものが多いはずです。

ここでみておきたいのは、「変化」のタイミングとその断定についてです。「変化」を捉える上でとても難しいのは、「本当に変わったかどうか」の見極めだと個人的には思います。サッカーは「状態」が流動的に、グラデーションのように、一瞬で起きるスポーツですし、一つ一つの動きがすべて戦術的に規定されたものではなく、選手の思いつきやとっさの感覚で出るプレーもあります。従って、「あっ対応が変わった!!!」と興奮しても同じような場面で元の対応に戻ったり、その後10分同じようなシーンが出てこなかったりします。1回だけ違う対応が出てきてもその1回で変えたと断定するのは強引な気がするし、あの選手のことだから気まぐれでやったら上手くいったパターンかも…みたいなもやもやを抱えてゲームを観ていくことになるわけです。これ、正直僕の中にも答えはないのですが、自分の中では僕は「時間帯やタイミング」、「人」、「2回連続」で判断するようにしています。

「時間帯やタイミング」についてはそのまんまで、HTや飲水タイムの直後の対応の変化は意図的な変化である可能性が高いですね。これは普通の話。「人」については、これもそのチームや選手を知っていればこその方法ですが、どのチームにも戦術的なかじ取り役や他の選手では代替できない役割を担っている選手がいることが多いので、そのような選手に注目します。例えば今の浦和レッズではビルドアップのかじ取り役は平野佑一が担っているわけですが、これは彼の認知力やパスのスキルが浦和の戦術と「現象」の因果を強く支えている、と言い換えられます。そういうわけで、彼のような選手が何をするか、何を出来るかはチームにとって非常に重要なので、彼の動きやプレー選択が大きく変われば、チームとして目指している「状態」が少し変わったのかもしれない、と考えることができます。「現象」の側から見れば、彼の立つ場所が変わっていればそれは戦術的変化が引き起こしているのかもしれない、という塩梅ですね。チームの中でも特有の役割を担っている選手が特定できていれば、その選手を手掛かりに全体の戦術の変化を読み取るのは便利な方法だと思います。書いてしまうと当たり前のことなんですが。で最後に、「2回連続」。これは感覚的な話になってくるのであまり自信がないのですが、サッカーで2回連続似たようなプレーや「状態」が起きることってかなり少ないと思います。それこそ、意図して(戦術的に)起こしていなければ22人+ボールの変数の中で2回連続同じことが起きる確率は少ないのではないでしょうか。もちろん相手との力関係もあるのでなんとも言えない部分は残りますが、他の要素とも総合して、「2回連続」で似たような「状態」が観測できれば何らかの「変化」を疑う、と言う風に僕は観ています。

「変化」を読み取ることはサッカーを観るうえで非常に難しい要素の一つなので、無理して「変化」を探すことをしなくても、後から「あ~あそこだったのか」という感覚でも良いような気が個人的にはしています。特にこういう観察方法にチャレンジする段階では難しいと思いますし、後から理解できればそれで十分ではないでしょうか。余談ですが、どんなにサッカーを観ていても確信をもって「変化」したと言い切れない部分はどうしてもあります。だからこそ、プロの記者さんたちも試合後のインタビューで監督に直接「変化」について裏を取っているのではないでしょうか。聞かないとわからない「変化」があれば、聞いても腑に落ちない「変化」もあって、そもそも「変化」が良いこととは限らないということも含めて、試合を観ているときはあまりこだわり過ぎず、かといって重要なもの、明らかなものは見逃さないように、というくらいの感覚が僕にはちょうど良いので、ファンとしてはこのくらいかな、と自分で納得しています。もちろんプロの分析スタッフやコーチ、監督を目指すという人であれば、その変化をリアルタイムで、より早く、より正確に見抜けるようになる必要があるのでしょうけど。
ちなみに、ファンとして観ていて面白い「変化」といえば、選手の成長だと思います。今まではここがこの選手の対応限界だったのに、個の試合では立派に役割がこなせている!とか、まだ出来ていないけれど、やろうとしていることはわかる!とか。ゲームを観察するという意味の「変化」とは少し違いますが、ファンとしてはゲームをよく理解することで選手の成長を解像度高く観察できるようになるのは幸せなので、そういう意味でも観察的に試合を観ることは面白いです。

おわりに

というわけで、「観る」ということ=「観察」の定義、「物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること。」に沿ってつらつらと書いてみました。なんとなく僕の感覚が分かってもらえるとよいのですが。

このエントリを読んでも「なるほど!ポジショナルプレーにおける3-2ビルドアップの潮流と功罪ついて完全に理解した!!!」とはならないのが申し訳ないところですが、そもそも「観る」「語る」という行為にハードルを感じていて、特にサッカー経験もあまりなくてとっかかりがわからない、と言う状態の人に向けて、「何がどういう構造でどういう仕組みになっているからどこをどう観察すればとっかかりになるかもよ」という記事が世の中になかなかないなあと思っていたので、そんな風に読んでもらえると書いてよかったなと思います。「なんだこんなもんか」と思った人は、それでOKです。あとはどんどん語って、文字にしてください。良いと思った悪いと思ったで十分です。戦術語りをオタクの特権にしてはいけません。田舎のかーちゃんも戦術を語る、アルゼンチンのようになりましょう。

 

一発書きなので後で図を入れてみたり修正したりするかもしれませんが、今回のチラ裏はこのへんで。それでは。