「レッズファミリーが一丸となった勝利」
2022年のACLは物凄い闘いでした。ラウンド16からのノックアウトステージは日本が立候補したことで埼玉でのセントラル開催、しかも一発勝負での決着となり、浦和にとっては非常に有利なレギュレーションでしたが、それでも全北との準決勝は近年稀に見る熱いゲームとなりました。韓国勢とのPK戦になったというのもありますけど、ほんと、15年ぶりくらいの熱気だったと思います。
で、そんな熱戦を伝えるためにメディアによく使われたのが「レッズファミリー」という言葉です。いや、別にいいんですよ。「ファミリー」と呼ばれたくないというわけではないし、全北戦にあたっては、会見でリカルドが「ファミリア」と言う表現を使ったことがメディアのワードチョイスに影響を与えたのかもしれないし、そもそも「一致団結」を表現するリーズナブルな手段ですから、毎回毎回「ファミリー」と呼ばれることに難癖つけたいわけではないんです。これは、『ただ僕の感覚でいえば「ファミリー」という言葉は浦和レッズ全体の、もっというと埼スタの雰囲気の根っこにある感覚、PRIDE OF URAWAに表現される感覚とちょっと違う気もしてしまうのですよ』というだけのことなんです。誰かを説教したいわけじゃないんです。そう、これはチラシの裏なんです。読まれなくても大丈夫なんです。
というわけで、言いたいことは下のツイートでざっくり書いてしまったんですが、たぶんポイントは「街」感だと思ってます。
なんか、ファミリーって人間にフォーカスしてますよね。そこに「街」を感じないのが引っかかるなと思ってます。浦和の場合、クラブよりも大きい浦和の街とか地域としての浦和がまずあるのが大事な気がするので、なんとなく浦和ファミリーと言われると気持ち悪い気もします… https://t.co/JSkddFebCn
— 96 (@urawareds96) 2022年8月29日
クラブだけじゃなくサポーターも一体になったコミュニティや、関係者の連帯を表現するときに使われる「ファミリー」という言葉ですが、やっぱり言葉の意味合い的にも人間をフォーカスしている言葉ですよね。美しい言葉だと思うし、「立場を超えて繋がろう」的なメッセージには便利だと思うんですが、浦和を語る時にはやっぱり「街」や「地域」が意識されてほしい気がしています。
浦和という街のサッカーの歴史の延長線上で
成り立ちの細かい話は別にしても、浦和レッズというクラブは「サッカーの街・浦和」を背負い、代表するんだという意識が強いと思うんですよ。だからこそエンブレムに鳳翔閣が描かれたのだと思うし、サッカーに対するこの土地の歴史や地域の盛り上がりこそが、お荷物時代の浦和を熱く支えたということもあったでしょうし。例えば清水エスパルスとの「王国」に絡んだ煽り合いなんかはこの感覚が強く出ているなと思うところで、これは「浦和レッズ」と「清水エスパルス」のライバル関係というより、浦和の街と清水の街とか、もっと具体的には浦和と名のつく高校と清水と名のつく高校が選手権優勝を争った歴史やライバル関係みたいなものを意図的に引き継いだものだと思うわけです。そういうレッズに限らない「浦和サッカーの歴史」みたいなものをひっくるめてPRIDE OF URAWAが成り立つのだと思うし、逆にいうと「クラブとしての浦和レッズだけのプライド」って感覚は個人的にはあまりなかったりします。いや、ACLなんかで浦和レッズというクラブが積み上げた名前と歴史はもちろんあるんですけど、そういったものと浦和の街、地域としての浦和を切り離す感覚がないというか。そうやって不可分なものとして、浦和という街のサッカーの歴史の延長線上で、サッカーの街・浦和を今現在一番目立つところで代表してきた、していくのが浦和レッズ、みたいな感覚なのかもしれません。
少し話は逸れますが、僕が浦和レッズにハマったきっかけもこの感覚に繋がっています。自分ではバスケをプレーして、野球もよく観ていた僕でしたが、いわゆる推しチームは特にありませんでした。こういう性格なのでどこか一つのチームを応援するのに根拠が欲しくて、たぶんなんのゆかりもないものに人生の時間をどっぷり使うことに抵抗があったんだと思います。なんとなくで応援しても、すぐ飽きそうだし。プロ野球では埼玉には西武ライオンズがありますが、僕の当時の狭い地元感覚では所沢には縁がなかったし、ロッテの2軍が浦和で活動していると言ってもロッテは千葉のチームだったし(そもそもマリーンズって。海ないし。)、バスケを観ていてもNBAはおろか日本の実業団クラブにも「思い入れの根拠」はなかなか見つけられなくて、なんとなくそんな感覚があったときに自分の育った街にある「浦和レッズ」が凄くしっくりと僕の中にハマったんでしょうね。「そうか、浦和育ちでなんやかんやサッカーが身近な人生送ってきたんだから、浦和の街にあるレッズを大事にすればいいんじゃん」みたいな。もしかするとこの瞬間は僕にとって「浦和育ちの自分」というアイデンティティの発見でもあったのかもしれません。こういうこと言うと土地としての浦和にあまり縁がなくてもレッズを応援してくれている方々を下に見るように取られるかもしれませんが、そういうことではなくて、あくまで僕の中の「思い入れの根拠」に「レッズが浦和にあること」が凄くハマったという話なんですけど、伝わりますかね?特定の試合の思い出とか、特定の選手の活躍とか、そういった何かしらの「思い入れの根拠」があれば、別にその上下は関係ないと思いますので気を悪くしないで欲しいのですが、その時には海外サッカーも多少追いかけていた僕は「海外の100年以上の歴史があるようなクラブのファンは街や歴史のことを歌うよなあ」っていうのがすごく印象に残っていて、なんだかそこに、土地との縁、積み上がっていくもの、自分の帰る場所みたいなものを感じて憧れていたのかもしれません。これって、海外の古い建物を残していく文化への憧れにも近いですね。当時(もしたかしたら今でも)Jリーグのクラブには歴史があまりなくて、平成初期感のあるビジュアル的なセンスとかを含めてなんだかプラスチック製のような印象を持つ人もいるかもしれませんが、でもあの時の僕には「自分が育った浦和の街を代表するクラブを応援していくって、海外の人たちが100年歴史を見届けてきたのと同じことじゃん!」みたいなポジティブな感覚がありました。そういうわけもあって、僕の中ではレッズが自分の街、浦和の街にあることはすごく重要で、「サッカーの街・浦和」が行政の作ったキャッチフレーズだとしても、なんとなく浦和レッズは浦和という土地と不可分だし、「俺の街の」浦和レッズなんですよね。だからこそ、「街」を感じにくいくくりに小さな違和感があるのかもしれません。時々浦和がめちゃくちゃ無様に負け続けていたりサッカー的に全然面白くなかったりフロントが迷走してると愛想を尽かしてしまう人もいますけど、僕があまり浦和レッズのファンなんかもう辞めた!と思わないのはこの感覚のせい、もしくはそのおかげだろうし、「俺の街の」浦和レッズという、自分の人生との不可分な接点を持っていることは今のところ「思い入れの根拠」としてよく機能しているなと思います。だって強くても弱くても「俺の街の」クラブであることは変わらないし(いや強い方がいいんですが)。裏を取るとこういう感覚でサッカーに入っているから海外の特定クラブを応援できないし、サッカーより浦和レッズが好きとか言うんでしょうね、僕。
「ファミリー」という言葉のそこはかとない暖かさ
で、話は戻って「ファミリー」への違和感ですが、もっとイメージしやすいものに、クラブやチームとサポーターの関係、もしくはサポーター同士の関係性もあるかもしれません。すっごい雑にいうと、「ファミリー」って言葉ほど仲良くないですよね、僕ら。仲良くないっていうか、もっと殺伐として、闘争心が前面に出てますよね。「ファミリー」という言葉のそこはかとない暖かさ、包み込むような感覚みたいなものが、僕の感じた小さな違和感のひとつなのかもしれません。暖かさとか、通り越しちゃって熱いし。なんていうか…「群れ」…みたいな…?スポンサーをまとめる言葉とか、トップチーム、レディース、育成年代までのチームや内部の人たちをまとめる言葉としてはいいと思うんですけどね、「ファミリー」。サポーターをまとめて「ファミリー」と公式に呼んでいるクラブもありますが(名古屋とか)、浦和はちょっとその感じとは違いますね。海外のクラブはどうしてるんですかね。リバプールのKOPみたいなのつけばいいんですけどね。意識して真似するとダサいので、何もなくていいんですが。
こういう関係性をどんな言葉で表すのが正解なのか、今のところあまり思い付かないのですが、こういう感覚もひっくるめて「浦和」の一言で済ませるのが便利だなあと思います。違う言い方をすると、「浦和」という言葉には、歴史を含む土地の名前としての浦和であったり、単純にクラブのことであったり、選手たちが集合写真を撮っている後ろで「まだ何も達成していない!」と喝を入れるキマり気味の熱量であったり、数々の情けない姿や敗北であったり、それでも次の勝利のために平日夜に集まって歌いながらジャンプしたり夢中で手拍子したりするこのコミュニティのありようみたいなものが包含されているなあと思うわけです。だから僕がもし「みんなが一つになったなあ」と思ったら、シンプルに「浦和一丸」という言葉を使うような気がするわけです。
そんなわけで、思うままにこんな文章をiPadで打ち込んでいたら、画面をチラ見した妻に「何その画面、文字ばっかで気持ち悪い…」と言われました。終わります。さようなら。
※追記
エントリをTwitterに落としたら思ったよりも反響が大きかったので、変に荒れる前に気づいたことを。
いろいろ感想を貰って、僕と同じ感覚の人もたくさんいて安心したのですが、「こういう意見は分かるけど土地や街の話を持ち出されると気後れしてしまう」とか「下手すると排他的になってしまう」というご意見も見つけました。これ、そうかもしれません。もちろん僕にそんな意図はなかったのですが、言わんとしていることはともすれば純血主義者っぽく読まれかねないなと後になって思いました。浦和という土地と縁があって浦和レッズを応援できている自分はある意味で幸運だと思うし、書いたことを撤回するつもりはないのですが、同時に排他的な考え方にならないように気を付けないといけないし、何より浦和レッズの持続性のためにも「外から来た人」を僕たちの仲間として迎え入れる精神は大事だなと思いました。でもやっぱりその時にも、浦和レッズだけじゃなくて浦和という土地と繋がっている浦和レッズを感じて欲しいというのも本音ですが。もちろん浦和育ちの人のためのクラブという押しつけをしたいわけじゃないし、そもそもどんな土地も来る人を拒むことはなくて、このエントリは『「ファミリー」という言葉に引っ掛かったことをきっかけに、あっ僕って「クラブと地域」という視点を大事にしてるんだな、と気づきました』というだけの話なんですけど。もしかしたら僕の題名のつけ方が悪くて、言葉遣いに文句を言いたい人の文章と思われてしまうところがあったかもしれないので、その点は反省です。
そんなことを書いていたら、「土地との縁は薄いかもしれないけど君も浦和レッズを応援する俺たちの一員だね」というもっと大きくてもう一段高い場所からコミュニティをまとめる言葉として「ファミリー」をあえて使うならそれもありなのかなとも思いました。なんとなく、一周回った感があれば。そういう意味では、こういう生々しい感覚の話をして一周して戻ってくるのにも多少の意味があるかな?とも。
まあ、所詮チラ裏なんで気を悪くしないでください。よろしくです。
大事にしたい人だけがひっそり大事にしていればよいってやつですね、きっと。 https://t.co/3LR88YYEIM
— 96 (@urawareds96) 2022年8月30日