96のチラシの裏:浦和レッズについて考えたこと

浦和レッズを中心にJリーグの試合を分析的に振り返り、考察するブログ。戦術分析。

浦和レッズの「3年計画」およびフットボール本部とガチ対話する【戦略編】

6    【戦略編】

いよいよ振り返りも最終局面です。フットボール本部を組織したことも含めて、「3年計画」を含む浦和レッズの新たな取り組みの戦略性についてみて行こうと思います。

6.1    そもそもサッカーの定義が合っていたか?

 これまで主に現場での取り組みについてみてきましたが、最後にそもそも論をしていこうと思います。「3年計画」の取り組みにあたって大事なことはいろいろありますが、アイコニックな部分は「浦和のサッカー」を定義したことだと思います。西野TDが各所で発言している通り、「自分たちの目指すサッカー」をクラブが主体的に定義したことで、浦和レッズの強化活動は根本的に変わりました。強くなるための活動の主体がクラブであると決まれば、監督が替わると目指すべき理想像自体が変わり、それによってクラブの選択ひとつひとつが変わり、体制や時代を超えて一貫した取り組みができず、長期的に競争力を積み上げられないことで相対的にクラブが弱くなるというこれまで浦和に蔓延っていた悪循環から抜け出せる(はずな)わけです。僕はこの点が「3年計画」の成否や結果よりも大事だと思っていて、だからこそこれまでの議論も、結果や見た目の良し悪しはあるとしても、取り組んでいるサッカーが「浦和のサッカー」という理想像に対してどうか?という視点を意識してきました。

 ですがそもそも、「浦和のサッカー」に説得力があるのか?という部分も検証されるべきという意見にも一理あります。「お前たちがそのサッカーを目指すのはわかったけど、俺たちはそれに同意していないが?」という人もいて当然だと思います。簡単に言えば「浦和のサッカー」が目指すところは前向きな守備からの素早い切り替えによってレッズがオープンスペースを活用して攻められる状況を作り出し、スピード感をもって相手ゴールに迫るサッカーと言えると思います。これを僕はネオ「速く、激しく、外連味なく」だと理解していますが、これは大雑把に言えば、この考え方や理想像は2007年までの浦和レッズの歴史の流れを汲んだものだろうなと思うからです。これまで唯一のリーグ優勝を成し遂げた2006年の浦和レッズと、伝統的にドリブル勝負や身体のぶつけ合いで盛り上がると言われている浦和レッズサポーターの志向に沿った考え方です。ただ一方で、2008年以降の浦和はいろいろな失敗や、監督のカラーによる「ブレ」はあれど、基本的にはボール保持を通じた試合支配を目指し、それを「攻撃的」なサッカーだと呼んでいました。基本的にはこの期間に長期的に目指すべきサッカーの定義なく、戦い方を監督に丸投げして監督をフルサポートすることで「迷走」したのが今のフットボール本部体制に繋がっているわけですが、それでもそのやり方で一定の結果を出したのも事実で、何より悩ましいのは、2008年以降にファンになり、2007年以前よりも2008年以降、特にミシャの時代の浦和レッズの方に親近感があるサポーターも無視できないほどには多くいるということです。正直、そういった人たちにとっては、いくら「前向きに」という枕詞を付けたとしても、守備から入っていくという根本的な出発点にあまり同意できないのではないかと思います。自陣でのボール支配で相手を引き込み、機能的なビルドアップ、敵陣でのコンビネーションからの美しいゴールを楽しんでいた人たちにとって、ネオ「速く、激しく、外連味なく」がどこまで受け入れられるのか?昨今のポジショナルプレーの流行りを踏まえても、必死にプレスに取り組んで守備からカウンターを目指したサッカー展開したとして、「これが浦和だ!」と感動してもらえるのか?正直、誰も断定的に肯定することはできないのではないでしょうか。

 さらに言えば、「3年計画」の中の3年間でも大槻体制→リカルド体制のブレを許容してしまったことも問題をややこしくしそうです。どう考えてもチームの完成度が高かったのはリカルドのほうでした。ですがリカルドの理想はリスクを回避し意図的に拮抗を作り出すことを「ゲームの支配」とする点でネオ「速く、激しく、外連味なく」とは相容れません。【現場編】で見た通り、リカルドは攻撃(ボール保持)を「長く」することでゲームの安定を図り、ゲームをコントロールすることを目指しましたが、フットボール本部が現時点で掲げているコンセプトは攻撃を「多く」することに主眼を置いていてるように読めます。この「長く」することと「多く」することの違いは、「攻撃的」という言葉でまとめるとわかりにくいですが本質的には真逆であり、サッカーのスタイルを考える上では凄く重要なのかなと思います。もちろんリカルド自身はできる範囲で浦和的なサッカーを表現しようとしたとは思いますが、根本的な価値観の違いがあったのは明らかです。こうした混ざりきらない部分を認知していたかどうかは別として、応援するファン・サポーターが大槻体制とリカルド体制を見て、どちらに魅力を感じるのか。記憶が新しい分、もしかしたらこちらの方が重要かもしれません。要は、これからもクラブは「リカルドのサッカーの方が良いサッカーだったんじゃないの?」という声と戦うことになるのだと思います。

 では、フットボール本部は「浦和のサッカー」を書き換えるべきでしょうか?実際のところ、フットボール本部は一度「浦和のサッカー」の定義を口頭で修正しています。当初は土田SDが「攻撃はとにかくスピードです」と言い切っていたものを、リカルド就任時の戸苅事業部長のコメントでは「ポゼッションとのハイブリット」という風に説明し直していました。これはおそらくリカルド就任に合わせて、当時の課題感に対処するため、リカルド招聘との整合を取るためにこういった言い方になったのだと思いますが、これは個人的には悪手だったと思います。というか、表現を修正したことよりも、その説明があまりなかったことと、口頭で修正したにも関わらず文言自体は残したことが良くなかったと考えています。もし口頭で説明の仕方を変えるだけの危機感があり、その線で監督を招聘したのなら、それも含めて説明して修正すればよかったと思います。個人的には「攻撃はとにかくスピードです」を実現するための努力(編成や監督に与える時間)が十分だったのかという思いもありますが、それはいったん置いておいて、「攻撃はとにかくスピードです」では結構難しいかも…と思うなら、そう説明して欲しかったです。説明して、最初の理想像は少し尖り過ぎていたと思い至ったので思い切って修正します!と堂々と言えていれば、多少の批判があってもそれはそれで理解されたと思うし、逆にそうしなかったことで、やっていることに本音と建前が出来てしまったように感じます。実際、リカルドは1年目、2年目と進むにつれて自分の理想に近いチームと戦い方を整備していきました。これはリカルドの立場からすれば当然のことです。それはいいとして、リカルドを後押しする立場のフットボール本部は、自分のやりたいことと真逆に突き進む人を応援しなければならないジレンマを抱えることになります。結局リカルドは期待した通りの結果を出すことができず、フットボール本部はリカルドを続投させないという形でこのジレンマから手を引いたわけですが、逆にリカルドが結果を出していたらフットボール本部はリカルドとの旅を続けることにしたのかどうかには少し興味があります。何が言いたいかというと、こうした苦い経験から学ぶことがあるとすれば、「浦和のサッカー」の定義の仕方はもう少し考えようがあるのではないかということです。

 浦和レッズさんが「3年計画」を策定する少し前にJリーグ界隈でコンセプトの設定・定義が重要であるという話が盛り上がったことがありました。おそらくポジショナルプレーが広く理解され始めたころだったと思います。で、このコンセプトというのはチームが選択すべきプレーとその選び方に原則(基本的な優先順位)を示し、パッケージ化したものと言えると思います。例えばボールを奪えたらとりあえず前に蹴るのか、後ろに戻して保持しようとするのか、選択肢は選手にあるけれど、うちのチームとしては前に蹴ることを優先しよう、そしてそれに合わせて、他の選手はこういう動きを意識しよう、というような具合です。で、フットボール本部が「浦和のサッカー」と言っているものはつまりは浦和レッズのコンセプトを設定しようという試みだと思いますが、重要なのは、このコンセプトにいかに説得力を持たせるか、という部分です。コンセプトは選択の原則を示すものですが、「そもそもなぜその選択を優先すべきなのか?」という部分がなければ、コンセプト自体が否定されてしまいます。では、何を根拠にコンセプトを設定すればいいのでしょうか。土田SDはおそらく、2007年までの浦和レッズ、特に黄金期のテーゼである「速く、激しく、外連味なく」への回帰への情念(もしかしたらそうした時代へのノスタルジー)をベースとしてこうしたコンセプトを設定したのだと思います。一方で、これまで見てきたとおり、実は今の浦和ファンはそれほどあの時代を懐古していないのではないか?していたとしても、土田SDと同じノスタルジーとモチベーションを持っているわけではないのではないか?という疑問は拭えません。加えて言えば、リカルドが赤裸々にも明かしたように、フットボール本部内部でも土田SDと西野TDで好みが違うみたいでした。まあ、土田SDと西野TDは(その時々で実権をどちらが握っているかという話はあれど)上司と部下の関係ですし、プロとしてやっていますから個人の志向があってもフットボール本部として一致団結していればいいのですが、ファンはそうはいきません。特に負けているとき、上手くいかなかったときに、監督や選手の実力がやり玉にあがるのであればまだいいですが、設定した「コンセプト」自体への疑い・反発が出てきてしまうと致命的です。継続的な取り組みの軸そのものが疑われるということですから、ここがブレたらグダグダです。

 そうすると、「コンセプト」の根拠には、個人の情熱ではなく、ファンやステークホルダー、地域環境も含めたクラブとクラブの周辺全体、一言で言うと「埼スタの感覚」とでも言うべきものを考慮しなくてはなりません。感覚とは何かというと、僕は好みだと思います。雑駁に言えば、埼スタが好むものはなにか、ということになると思います。ただ、「何が好きですか?」という問いかけをしても意外と「好き」の輪郭は見付けられないので、例えば僕は、「嫌い」なものをみつけて一つ一つ排除して、残ったものを大事にすればいいのではないかと思います。例えば(結局これは僕の感想になってしまいますが)、ここ2年間リカルドの試合を見ていて、狙い通りの拮抗状態を作り出したものの、試合終盤になっても勝つためのリスクを負わない、試合が動かないタイプのゲームはあまり好きではないと気づきました。引き分けるくらいなら負けてもいいとは言いませんけど、試合を動かさないタイプの選択を続けるとせっかくの埼スタが冷めていく感じがします。やっぱり熱狂・熱量が埼スタと浦和レッズのアイデンティティですから、だったらリスクをかけてでも試合を動かそうよ、と思うことは多々ありました。

 もう少し具体的なプレーで言えば、やはり1on1の勝負を避けるのは同じく好まれない選択肢だと思います。行けと。20年以上かけて育成された勝負おじさんの要求は高いんです。他にはなんでしょうね。マイボールの時間が短いのもあまり好まれない気がします。ただGKを使ったビルドアップにこだわるのもあまり良しとされないかも。プレッシングに行かないことに腹を立てるというのはあまり聞いたことがない気がするので、実はプレッシングはあまり重要ではないかもしれません。逆に、トランジションが遅いのは結構ストレスになってそうです。こんな感じで、何が嫌いなのかを見つけていくと、「埼スタの感覚」の輪郭が浮かび上がってくるのではないかと思います。これをうまく言語化して、これを根拠に「浦和のサッカー」、つまり浦和レッズのコンセプトを組みなおすという作業に取り組んでもいいのではないでしょうか。雑な案かもしれませんが、「攻撃はとにかくスピード」ではなく、「ハイブリットなスタイル」でもなく、「強力なドリブラーによる1on1をたくさん作り出す」が浦和のコンセプトでもいいんじゃないでしょうか。その作り出し方は監督によってまちまちでしょうけど、こういうコンセプトなら素直にドリブラーにお金をかけるというのもはっきりします。その他には「トランジションを多発させ切り替えの速度でゲームを支配する」とか、もっとどストレートに、「浦和の責任」の次に「埼スタを盛り上げる」とか入れてもいいかもしれません。これは近いことがオリジナルの定義にも入ってますが。

 まあとにかく、「そもそもサッカーの定義が合っていたか?」という論点についてはもう少し改善をしてもいいのではないかという気がしています。そしてそのポイントは「埼スタの感覚」の輪郭を抑えて、それを根拠にコンセプトを構築していくことにあるのではないかと感じた3年間でした。

6.2    適切な組織体制だったか?

 フットボール本部体制には自信を持っていいのでは

 戦略面の振り返りなので、組織体制とは、クラブの組織体制のことを指しています。トップチームの体制についてではないことにご留意ください。で、クラブの組織体制というとまずはフットボール本部体制そのものの評価になります。言わずもがな、フットボール本部体制は「3年計画」の取り組みの主体・主役です。彼らがいなければ「3年計画」は成り立たないどころか、始まりもしませんでした。なので、良し悪しの前にこの体制は大前提として不可欠なものでした。加えて、「3年計画」の失敗の後もフットボール本部体制が維持され、キーパーソンである土田SD・西野TDともにクラブに残って仕事を続けてくれそうなことは素晴らしいと思います。「3年計画」そのものよりもフットボール本部体制が維持され、失敗を分析し、反省を活かし、次のチャレンジに繋がることが本当に大事なことですから、体制の維持によってこの部分が担保されたことは本当に喜ばしいし、これだけでフットボール本部体制は半分成功です。もちろん、成功しなかったもう半分はフットボール面での結果が足りなかったことになるのですが、今のところ浦和レッズさんに関してフットボール本部よりも期待できるチャレンジャー、取り組みの主役は見つかりません。なので現時点では、チームの崩壊・クラブの降格危機のような事態を招かない限り、現在のフットボール本部を維持し継続的にチャレンジを積み上げてもらうのがクラブにとっての最善手であると思います。その意味での信任はファンからもされていると自信を持って良いと思います。

 では一方で、この組織体制を維持していればOKかと言うと、そうはならないのではないかと思います。具体的に言えば2点、後継者問題と持続的な強化を可能にする仕掛けについて議論したいと思います。

 後継者問題は比較的わかりやすいと思います。人間いつかは組織を去るわけですから、後継者が必要です。外から見ているとわからなかったのですが、実際にフットボール本部に何人のスタッフがいるんでしょうか。スカウトチームは西野TDの下に新卒担当2名、国内のプロ選手担当が3名のチームらしいのですが、その中に、後のSD・TD候補となる人がいるのでしょうか。個人的には、特にSDには浦和を知っている人で繋いで欲しいと思っています。これまでに議論してきた通り、浦和のコンセプトの根拠・背景として「埼スタの感覚」がふさわしいと考えると、この「埼スタの感覚」を言語・非言語のどちらでも理解できる人が必要だと思います。そのうえで、サポーターやステークホルダーに対してトップチームの長期的な取り組みの責任者(顔)としてコミュニケーションができる人がふさわしいと思います。そのためには当然プロとしての経験や実績・強化担当者としての経験も必要だと思います。そう考えると、浦和レッズOBでふさわしい人をフットボール本部の中で育成していくべきではないかと思います。感覚、名前、顔、経験、すべてを揃えた人材はその辺から勝手に生えてはきません。野生のSDはいないんです。絶対に自分たちで仕込んだ方が良いと思います。そういう意味で、現在のフットボール本部本部体制の中に将来のSD候補を仕込んで欲しいというのが僕の意見です。

 一方で、TDはトップチーム強化に関する技術的な部分を統括しSDを補佐する役割ですから、専門的な勉強をされた方を外部から招聘するというのも面白いと思います。なんならJ1のライバルクラブから引っ張ってもいいくらいです。現実的には次期SDとなる人がTDの椅子に座るのかもしれませんが、浦和を知っていて顔になれる人と専門家といった役割分担も面白いのかなと思います。正直、SDはその時が来れば自ら役を降りることで責任を取る必要があるポジションだと思います。それはシーズンの成績・結果もそうですが、編成に大失敗したり、長期的な取り組みが立ち行かなくなったり、浦和のコンセプトが否定されたりするときです。それはいつ来るかわからないので、その時に適切な人が後を継げるように、早いうちから手元で育てておくべきだし、そこまで織り込んでこそ長期的かつ持続的な強化に資すると言えるのではないかと思います。

 現状の19歳以降の育成には不便が多い

 持続的な強化を可能にする仕掛けについては、ちょっと夢を語るようなところがあるのですが、個人的にはトップチーム強化を目的としたセカンド(U-23)チームの設立・運営に思い切って取り組んで欲しいと考えています。
 今の日本サッカーには間違いなく18歳~23歳の育成機能が欠けています。浦和も伝統的に新卒選手の育成が下手で、高卒選手の育成なんかほぼ諦めているのではないかと思うことすらありますが、これは他のJ1クラブでも似たり寄ったりの状況だと思います。浦和の場合ユース上がりの選手ですら満足に育成できておらず、20代前半で海外に引っ張られるほどのポテンシャルを持った選手がモノになったくらい(育成したというより使ってたら勝手に育ったというべきかも)ですが、個人的にはそもそもJ1の舞台はもはやユースを卒業したばかりの18歳の「こども」が簡単に適応できるレベルではなく、適切にJ1と育成年代の溝を繋いで経験を積ませてあげなければ選手が育たないという状況になっていると思います。

 こういう話になるとまず「多少我慢して育成のために選手を使わないと伸びないのだから、そうしないのが悪い」という話が出てきますが、J1を戦うトップチームは「結果を出す場」ですから、育成のために若手を使うというのは優先順位の低い選択肢です。たとえ育成のため、経験のためという理由で起用するにしても、その分プレータイムを失う選手たちが納得するような競争を経ていなければ、育成が果たされても分厚い戦力を維持することはできなくなります。そんな余裕はたいていのクラブではありません。そもそもビッグネームを獲得できないので若手を使いながら戦うしかないクラブがうまく選手を育てて売っているのが育成型クラブとして話題になりますが、これもそうするしかないからやっているだけで、より高い結果を求めるのがクラブの本来の姿なはずです。

 加えて、浦和の場合はフットボール本部の抱える構造的ジレンマについても考える必要があります。物事に絶対はないにしろ、フットボール本部主導のコンセプトに沿った編成・補強が上手くいけばいくほど、浦和レッズは若手の使いどころがなくなるはずです。当然、23歳までに海外に引き抜かれるような逸材については例外でしょうが、そういった選手は何もなくとも勝手に育っていきます。ここでいうのは、例えば手塩にかけてやっとプロにチャレンジできそうなユース卒の有望選手や、高卒・大卒で獲得した期待のルーキーレベルの話です。フットボール本部は自らが策定したコンセプトの実現に最も期待できる監督を連れてくるので、基本的にフットボール本部と監督の選手の好みは合うはずで、補強の打率はこの体制で経験を積めば積むほど良くなっていくはずです。フットボール本部は継続的な優勝争いができるスカッドの実現のため選手を補強するでしょうから、若手が入り込めるようなスカッドの隙間はどんどんなくなっていきます。こうなると、いくら有望な選手でも、チームの指導を十分に受けておらずやり方が身体に染みついていない、実戦経験が足りていない選手はなかなかチャンスに恵まれず、生え抜き選手が育ちません。するとどうなるかというと、有能なフットボール本部はこうした選手を放出し、さらに強いスカッドを求めて代わりの選手を連れてきます。要は、「浦和の責任」を表現し強く愛されるチームを実現するためのフットボール本部体制は現状、そうした責任概念を最も理解できているはずの生え抜き選手に非常に厳しい体制と言えます。それなら、下部リーグで浦和レッズのコンセプトをみっちり叩き込まれて実戦経験も積んだ選手の方が可能性はありそうです。

 ではどうするかを考えると、現在のところレンタル移籍を活用することと大学に進学させ育った選手を回収することが主な対策になっています。なぜこれらの手法が持続的でないのか、なぜわざわざセカンドチームを作らなければならないのか、そのポイントは育成の主体性です。

 レンタルにしろ大学進学にしろ、クラブとしては一定期間選手の育成・指導を外部に委任することになります。ここに持続性がありません。基本的には保有元のクラブはレンタル先を自由に選べない(需要のある選手にしかオファーが来ない)ので、この選手にはこういった指導をしたいと思ってもその通りの移籍先がなければそれはかないません。外部に出せば、指導どころか起用法すら指定できません。

 浦和レッズで言えば矢島慎也が岡山でボランチを任されてプレータイムを確保しましたが、浦和にとって矢島はトップ下で勝負させたかった選手でしょう。当時のレッズには柏木と阿部がいましたから、外でボランチをちょっと覚えてきても勝負になりません。実際、トップ下で何度か起用されたものの上手くいかなかった矢島は「環境を変えたい」と言い残してどこかに移籍していきました。矢島はその後の所属チームでIHとしてしばらく活躍していましたし、矢島にとっては岡山での経験はかけがえのない素晴らしいものだったと思いますが、それがレッズのためになったのでしょうか。

 この例は極端かもしれませんが、レンタル移籍が意外と不自由なものであることはもっと認識されるべきだと思います。レンタル移籍先での指導方法、起用法、日々の体調、筋力の状態、練習環境、メディカルのレベル、先輩・後輩、生活環境、どれも指定できません。満足にモニタリングもできないと思います。知らない土地で一人戦ってくることでタフになる?その通りですが、それが第一かつほぼ唯一の選択肢でいいのでしょうか?浦和はこの5年間で7人のユース卒選手(直輝と岡本を含んでいます)を完全移籍・契約満了で放出していますが、全ての選手がレンタルを一度(一年)以上経験していました。それどころか、浦和が保有していた期間全てでレンタルされていた井澤のような例すらあります。そうしてレンタル移籍をこれ以上ないほど活用して、そこでポジションを取っていた選手もいて、それでも戻して使えないのは、レンタル「だけ」で育成することの難しさ・現実味の無さを示してはいないでしょうか。レンタルがダメなのではなく、若手のレンタルに頼るのはおかしいのではないでしょうか。全クラブの統計はとれませんが、レンタル移籍を活用して若手を育成し、しっかり自クラブに戻してレギュラーとして使えた例は、全体のどのくらいの割合なんでしょうか。

 こうしたレンタル移籍の不便さがある中で、浦和を含めたJクラブが18歳~23歳の育成において大きく期待しているのは大学サッカーでしょう。浦和で言えば宇賀神、敦樹、松尾も直接ではないですが大学サッカーにうまく育ててもらって浦和に戻ってきた選手の一人です。浦和に限らず近年のリーグ全体での大卒選手の活躍を見ても、現在のところ大学サッカーに育ててもらうのがこの世代の育成において最もまともな方法だと思います。

 では、大学サッカーに育成を任せることの何がいけないのでしょうか?基本的なリスクはレンタル移籍と同じで、外部組織に所属させるのですからその組織の育成方針に任せるほかなく、細やかなモニタリングもできません。加えて、大学サッカーではほとんどの場合卒業まで4年間プレーするので、4年間その大学のサッカーに染まります。自クラブの育成方針(それすらない場合もあることには目を背けつつ)と大学の育成方針に整合がとれていればよいですが、そうでない場合はどのように育つやら。さらに、特に強豪大学のサッカー部は大変な大所帯です。別に競争が激しいのは問題ありませんが、たくさんプレーさせるために外に出したのに、1、2年は雑用でほとんどプレーできませんでしたって、それって…みたいな。また進学する大学によっては環境が悪かったり、関東大学一部リーグと北海道学生サッカーリーグ1部や東北学生サッカーリーグ1部の競争力の差をどう考えるのか?みたいな話もあります。北海道一部なんて、得失点差+70のチームと-94のチームが同居してるわけです。仕方ないことですが、それって…みたいな。まあ松尾は東北一部の仙台大学で育った選手なので、あまり関係ないのかもしれませんが。それと、そもそも論で言えば松尾の有名なエピソードにあるように、大学はプロ養成機関ではないという話があります。

 松尾はスポーツ特待生で入学していない。「プロになるために大学に来ました」と面談でまなじりを決したら、大学は学びの場です」と気勢をそがれた。

www.nikkei.com

 まあこれはある意味ネタですが、「大学は学びの場です」というのはまさにその通りで、建前だとしても優先順位第一位は学問になりますよね。普段はあまり気にならないと思いますが、例えば在学中の選手を特別指定してトップチームで起用したいときに、自由にスケジュールを調整できるのか?といったところで問題が出るのだと思います。せっかく大学に通っているのに、プロになるために卒業できないという状況は学生も避けたいでしょうし。途中で引っこ抜きにくいというのは大学に育成を外注する小さなデメリットかもしれません。言い換えれば、根本的に一度保有権を完全に手放すこと自体に不便さがあるということですね。

 こうしたデメリット・不便さがありながら外部での育成に期待するのは、そうせざるを得ない状況があるからでしょう。「10代の選手の多くは正直試合に使えるレベルになくて全くゲームをさせられないし、かといってチームのトレーニングだけでは育てられない。ただ無為に時間を潰すよりはいい。」という話なのだと思います。それが現実。それはわかりますが、せっかく監督より上位の取り組み主体を組織し、コンセプトを作って継続的な強化を始めたというのに、そしてその結果として近い将来どんな選手が自分たちに必要かも定義できていくというのに、肝心の育成の総仕上げを外注しなければならないって、あまりにももったいなくないでしょうか。

 実際のところ、セカンドチームを作れるのか?

 ここまで一貫した活動の流れができたのですから、将来を担う選手も主体的に育てたい!そうです。セカンドチームを作りましょう、18歳から23歳くらいまでの選手を17人~25人保有し、練習生なんかを受け入れながら活動しましょう。たくさん試合経験を積めるし、日々のコンディションや成長をモニタリングできるし、トップチームが使ってない時間にトレーニングインフラも借りちゃいましょう。契約?契約はC契約並みでどうでしょうか。必要に応じてトップチームに特別指定できるといいですね。時々トップチームの選手のコンディション調整の相手になりましょう。WIN-WINです。いいことしかありません。

 すみません、嘘つきました。いいことばかりではありません。大学に行けば取得できた学卒のステータスがなくなる?確かに。じゃあ資格学校や専門学校とスポンサー契約を結んで受け入れてもらいましょう。23歳までにサッカーでトッププロを目指しながら手に職をつけられる環境ならどうでしょう。これでトップクラスに辿り着かなかったとしても人生転落の心配を軽減できます。サッカーに費やす時間はどんなに長くでも一日6時間くらいでしょうから、3時間×週4日は勉強しても大丈夫でしょう。週12時間×52週間×18歳~23歳までの最大5年間で3,120時間確保できます。3,000時間が税理士試験合格の目安らしいです。十分すぎる。給料もらってこれなら大学でドイツ語や古典政治学の授業を寝てるよりはマシじゃないでしょうか。遊べない?プロの世界で上目指したいんだろ?

 次はコストですね。セカンドチームを満足に運営するには相応のコストが必要になります。ネット情報だと社会人関東1部リーグの南葛FCの2021年の運営費が1億7000万円くらいとのこと。南葛FCは有名選手が多いですが「選手営業」という契約形態を多用しているらしく、厳密な意味でプロ選手を抱えているわけではないようです。

 2021年の年間運営費は1億7000万円。今季は3億円近いレベルまで上乗せする見込みだ。この金額は関東1部の中ではもちろん上位だが、J3のクラブに比べれば、そこまで資金力があるとは言えない。

toyokeizai.net

 僕がレッズの決算情報から概算・推定したセカンドチーム運営費用がだいたい3億円くらいだったので、1.7億円というのはだいぶ(選手人件費の分?)切り詰めている印象なのですが、例えば間をとって2.4億円くらいが相場だとすると、2022年現在だとトップチームのスター選手2人分の年俸くらいのコストという感じでしょうか。これ、まあまあリアルな数字ではないでしょうか。今のレッズで言えば酒井宏樹とショルツを放出する代わりにセカンドチームで若手を育てますという決断をするかどうかと考えると、難しい問いですね。基本的にサッカークラブ(特にJクラブ)の経営はチーム人件費にいくら投入できるかが正義です(人件費と順位に強い相関がある)から、年間2.4億円をいつ成果が出るかも不確実な育成のために使うなら、スター選手を獲ってきてトップで結果を出した方がチケット収入・グッズ収入等の波及を含めると優先されるでしょうし、サッカークラブとしてまともです。2016年~2020年にJ3リーグへのU-23チームの参入が認められた際に浦和も含めてそこそこの数のクラブが検討したようですが、U-23参入の特例がなくなった後にJ1クラブでまともにセカンドチームを運用しているクラブがないのは、このあたりのB/Cが現実問題としてあるのかもしれません。要は、U-23チームをやったらいいのはわかってるけど、それよりトップチームに人件費を使わないと本末転倒だろ?という感じでしょうか。年間5,000万円くらいでなんとかなるなら別の判断もあるでしょうが、2.4億円だと年間で勝ち点5前後に換算できそうなので、下手したら残留・降格やACL出場権内に入るか入らないかに関わるかもしれません。

 セカンド(U-23)チームの設立にあたっての大きな問題はまだあります。参入リーグの問題とホームスタジアム問題です。前述のJ3参入の特例は東京五輪に向けたU-23世代の強化という大きなテーマがあり実現しましたが、今後はリーグが各クラブを支援してU-23チーム保有を促し、U-23リーグを設立するといったような動きがない限り、各クラブが独自にU-23チームを運営する必要があります。そうすると現在の日本のサッカークラブのヒエラルキーに則って、おそらく浦和レッズセカンドはさいたま市の第1種市民リーグ3部南部からスタートすることになると思います。そこから、市民リーグ2部、1部、埼玉県2部、1部、関東2部、1部と、JFL直前に到達するまでにまともにやったら最短で7年。正直U-23でJFLを戦うのはかなり厳しいと思いますので、中期の目標を関東1部or2部としてもU-23チームの第1期選手(18歳)は埼玉県リーグを戦っているうちに23歳を過ぎてしまいます。これで育成になるんですか?というのは結構厳しい問いかけです。実際、育成で有名なライプツィヒはU-23チームを2017年に解散しており、現在はU-17チーム及びU-19チームのみが活動しています。これを復活させようという動きもあったようですが、一度解散したチームをゼロから作り直すにはカテゴリーを上げるのに時間がかかりすぎるということでなかなか進展していないようです。

 JクラブのU-23チームということで参入リーグに特例が適用されれば素晴らしいですが、どのみちU-23年代に見合うレベルのリーグでプレーし続けられるのか?という課題は出てきます。関東1部で戦えたとしても、関東1部とJ1の舞台には雲泥の差があるでしょうから、U-23を経てもトップチームの強度やレベルに適応するのに選手が苦労してしまい、結果として育成打率が下がるのではセカンドチーム保有意義にも疑問がつきそうです。U-23からトップチームに選手を送り出せなければ意味がありませんから、しっかりと運用できるようになるまでに10年単位で効果をみていく必要が出てくるでしょうし、その活動を続けていくのは簡単ではないでしょう。

 ちなみに、U-23チームの解散にあたってライプツィヒは大きく二つの理由を明かしています。一つはセカンドチームを3部で戦わせれば、相手チームの(ガチ)サポーターからの厳しいプレッシャーに晒されてしまうこと、そしてもう一つはスタジアムの問題で、トップチームの本拠地は大きすぎて使用できないにも関わらず、サブスタジアムを使おうとすればセキュリティー対応等のインフラ整備にコストがかかりすぎるということ。結局、ドイツ有数の育成クラブであってもセカンドチームを保有する構造的課題は日本と変わらない様です。

www.focus.de

 浦和でもこのスタジアム問題は課題になると思います。浦和には幸いにして比較的使いやすい駒場スタジアムがありますが、駒場はレディースの本拠地でもあり、Weリーグの日程にスタジアム使用がかなり制限されます。県リーグレベルであればレッズランドを使ったりできるのかもしれませんが(すいません基準は調べてません)、セキュリティや試合後のケアなどを含めて多少のインフラ整備が必要になりそうです。
 と、ここまで現実問題を考えてきましたが、普通に考えたら難しいですね。ただそれでも僕はセカンド(U-23)チームの保有にはチャレンジしてほしいと思っています。というか、保有しないとフットボール本部の取り組みの持続性を担保できないと考えています。18歳~23歳の間の選手を主体的かつじっくりと育成できているクラブがほとんどないという現状を打破するには、他のクラブが簡単には手を出さない(出せない)やり方が必要なのだと思いますし、もしJリーグがU-23チームの保有を各クラブに推奨し、制度上の特例も含めてU-23カテゴリーの強化に動いたときに、素早く反応できるだけの投資をしておくのは競争上重要です。加えて、選手の育成だけでなく指導者の育成の場を確保できるという点は無視できないメリットだと思います。いつかの夢であるレジェンド指導者の育成・登用を考えても、若手指導者のチャレンジ・評価の場としてのセカンドチームは保有したいところです。他所に放り出して結果出してこーい方式もありですけどね、時間のある指導者なら。

 というわけで、想定2.4億円のコストをどうカバーするのかという大きすぎる壁はあるものの、事業規模30億円の2.4億円と80億円の2.4億円の負担感は全く違います。売上規模の大きいクラブとして、こうした大きな投資にチャレンジしていくことも日本のリーディングクラブとして価値を高めていくには必要なのではないでしょうか。浦和レッズのコンセプトを体現する指導者・選手育成の内製化と、登竜門としてタレントプールを広く持ちふるいにかける機能をクラブの中に持っておくことで持続的な強化を可能にし、他クラブが真似したくても真似できない競争上の強みを手に入れたいところです。
 だいぶ余談が長くなりましたが、フットボール本部の組織体制の在り方に関する振り返りとしては以下の通りです。フットボール本部が存在すること自体がこの先の浦和レッズ強化の根幹であり、軸です。この体制ができて本当によかったですし、「3年計画」の失敗は残念ですが、失敗にも関わらずこの体制が継続されることは非常に素晴らしく、浦和レッズにとって重要です。

 一方で、この体制を持続的なものにするために、フットボール本部内部で後継者の育成が必要だと思います。そして大きな夢として、フットボール本部の作成したコンセプトの体現者をより主体的に育成できるような体制、具体的に言えばセカンドチーム(U-23)の設立・運営にチャレンジして欲しいというのが僕のまとめです。

6.3    この取り組み自体が正しかったか?

 最後に、根本的にこのフットボール本部体制と「3年計画」の取り組みが正しかったかについて考えます。フットボール本部体制についてはこれまで見てきたとおり、本当に素晴らしい取り組み(組織体制)だと思っています。改めて整理するとフットボール本部体制の意義は大きく以下の3つになると思います。

  1. トップチーム強化体制がクラブ経営からある程度独立したこと
  2. トップチームのあるべき姿・方向性をクラブ主体で決めることにしたこと
  3. クラブのあるべき姿・強化の方向性を過去の失敗から導いたこと

 1.はレッズ特有の問題ではなく、たいていのJクラブが抱える問題でもあると思いますが、経営規模的には中小企業レベルのJクラブではどうしてもトップの経営責任がダイレクトに問われる構造があります。Jクラブにおける経営は利益創出よりもいかにトップチームの人件費(強化費用)を捻出し結果を出したかということが問われますから、限られた予算の中で周辺事業のリソースをうまく管理しつつトップチーム強化を果たすために、社長がダイレクトに強化に関わる例が多くなるということだと思います。ただ法人としてのJクラブは、歴史的な経緯からも現実的な運営資金の提供という意味でも母体となる親会社(もしくは責任会社)の影響を強く受けており、経営者はいわゆる天下りで任用されるという現実もあります。その中で何が起きるかと言うと、サッカーの専門家ではない経営者がリソース管理の文脈から強化に(深く)関るか、もしくは右腕として連れてきた強化担当者(いわゆるGM)に強化を任せるといったことが起きます。別にそのどれも上手くいけばそれでいいのですが、問題は社長にはたいてい任期があり、社長交代と同時にまた体制がリセットされてしまうということです。また右腕としての強化担当者の選出においても中長期的な安定よりも短期のうちにいかに到達点を高くできるかという側面が強調される傾向があると思います。こうした構造に対して、フットボール本部体制の良い(はずの)ところは、ある程度独立した組織として、トップチーム強化の責任を負うことができるという点です。雑な言い方をすればトップチーム強化から社長を締め出せます。フットボール本部は社長から配分されたリソース(予算)の中で最高の結果を出す責任を負います。従って社長は十分なリソースを配分すれば、その時点でクラブ経営者としての責任を果たすことになります。その先に深く立ち入る必要は基本的にありません。こうすることで、フットボール本部の体制が安定さえしていれば、社長が交代してもトップチーム強化に大きな影響はない(はず)です。余談ですが、これは逆に、フットボール面の知見をあまり気にせずに社長人事ができるというメリットももたらします。要は経営のプロは社長、トップチーム強化のプロはSDと言う風に専門家を配置して役割分担できるということでもあります。当然、フットボール本部長やSDといった幹部人事に社長が関わるので、この人事がダメならダメなのは従来の体制と同じではあるのですが。

 2.についてはレッズ特有とは言わないまでも、過去のレッズの苦い経験を踏まえると重要なポイントです。これまでのレッズの迷走や強化方針のブレは昔さんざん書いたのではしょりますが、クラブとして目指すべき方向性を見つけられなかったこと、3年以上監督を継続したことがなかったこと、「継続性」に対する反省からミシャを招聘したものの主体性のなさからミシャにチーム作りを丸投げしたこと、その後ミシャとの別れと共に再び迷走が始まったこと、こういったストーリーと経緯を経て、「主体性」をクラブが持つ、フットボール本部が持つという明確な意思と「決め」はこの体制の肝でした。

 3.については上記2.と関連していますが、清尾さんが「成功は失敗の母内閣」と書いた通り、得てして過去の失敗を顧みずに大きな言葉と目標を並べがちだった浦和レッズのフロントを見てきた土田SDだからこそ、こうした体制を発案できた、実現できたという事実を評価すべきかなと思います。そういうわけで、フットボール本部体制を組織したこと自体は浦和レッズにとって非常に重要なステップであり、この体制を発展させていくことこそが過去の経緯を踏まえると正しい道のりであると思います。J1リーグの成績としては今のところ結果が出たとは言えませんが、「フットボール本部」という名前ごと持っていった磐田など、同じような問題を抱える他クラブからもこの体制は参考にされているようなので、外部からも一目置かれる取り組みとなっているのではないでしょうか。

 で、問題は「3年計画」の方ですね。よく言われるように、3年という時限を切ったことで無茶な動きをせざるを得なかったのではないか、というのはその通りだと思います。できれば時限を切らずに一歩一歩進めたかっただろうし、チームの基盤がないところから3年でJ1優勝を果たすのは正直言って無謀な目標だったという結論になるでしょう。そもそもフットボール本部体制の取り組みは最高到達点を高くするためのものではなく、持続的に良い結果を出し続けるためのものですから、「3年後のJ1優勝」という到達点を目標に示したことで取り組みの意義、狙い自体が少し誤解されてしまったという面もあるように感じます。だから本当は、時限を切らずにフットボール本部体制の取り組みをスタートできたら理想的だったとは思います。とはいえ、プロサッカーは勝負の世界。結果がほとんどすべてです。「浦和を知っている」フットボール本部体制だからこそ、目に見える結果を約束しなければ取り組み自体が受け入れられないだろうという意識があったと思いますし、時限を切ることが正しかったかどうかの前に、そうするしかなかったという側面が大きかったのかなと思います。

 現実としては、近年のJ1リーグは強固な基盤の上にタレントのシナジーが揃って初めて優勝争いができる非常に厳しい競争となっており、そうした要素を持ち合わせる川崎や横浜FMとの差を3年で埋めるのであればひとつも間違いは許されないチャレンジだったと思います。にもかかわらず1年目で監督交代、3年目の夏にラストピースのFWを補強する(そして10分で負傷離脱)という感じではきつかったですね。フットボール本部体制自体は素晴らしい枠組みなのですが、中身は強化体制としての経験・実力の不足が否めなかったと思いますから、こうした失敗を飲み込めるような時間軸で取り組めると良かったと思いますが、逆に言えば3年で優勝というプレッシャーがあるからこそ背伸びして取り組み、成長できたという考え方もできるかもしれません。

 そういえば、3年計画の一年目が大槻さんの続投だったこと、大槻さんの仕事が「ゼロにならす」仕事だったというコメントがあったこともあって、大槻さんは実質0年目説がよく出ていましたが、クラブが簡単にこのように計画目標を延期しなかったことは潔かったかなと思います。おかげで「3年計画」は言い逃れできないレベルの失敗となりましたが、グダグダせずに次に進めるわけですし。ちなみに、実質0年目説の通り「3年計画」の4年目をやりたいのであれば、そもそものコンセプトの修正もセットであるべきだったと思います。まあそれはそれで、「3年計画」の取り組みを1年で諦めることになるので、そもそも自分たちでぶち上げた計画を速攻で否定することになり、存在意義自体が問われる事態となりそうな気もしますが。

 そういうわけで、「3年計画」自体が素晴らしいかというとそうではないと思いますが、そうするしかなかったという事情はわかるし、やったことでわかったこともある、という意味で全部を否定するものではないかなという感じです。

 やっぱり浦和の取り組みはフットボール本部体制を作ったこととこの体制を継続して持続的な強化を達成すること自体が重要です。3年計画の歩みを観てきた通り、継続的な強化のベースがなければ優勝が難しいリーグで我々は戦っているからです。だから今後この失敗をさらに活かすことが求められるし、そういう意味でフットボール本部のコンセプトと戦術の齟齬が隠せなくなっていたリカルドをスパッと切って、よりゲームを動かしリスクをかけるサッカーをしそうなスコルジャ監督を引っ張ってきたのは失敗を活かすという部分で正しいのかなと思います。最高到達点としてのJ1優勝をいつ達成できるかというのは正直わからないし、現時点でも川崎や横浜FMとの取り組みの差はまだ大きいとは思いますが、持続的な強化を実現するためには正しい道のりを歩んでいると思います。そういう意味でこの取り組みは正しいと信じていますし、引き続き応援していきたいと思います。

 

続く。

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