96のチラシの裏:浦和レッズについて考えたこと

浦和レッズの試合の分析的感想を書いたりするチラシの裏です。 twitter: @urawareds96

Player’s Voice - アンドリュー ナバウトの独白(意訳)

オーストラリアのネットメディアから素晴らしい記事が出ていましたので、なるべく多くの人とシェアしたいと思い、意訳してみました。浦和に新加入が決まったアンドリューナバウトの、浦和移籍が決まって直後のモノローグ調の記事となっています。内容は彼のキャリアを振り返るとともに別れと新たなチャレンジについて具体的に言及しており、ここまでの記事がこのスピードで掲載されるオーストラリアのスポーツメディアには驚きとともに羨ましく思います。日本もこういう体の記事は時々ありますが、ここまで内容が濃く、タイムリーなものは見たことがありません。英語に抵抗がない方は是非原文を読まれることをお勧めします。

 

 

ちなみに、彼の独白調ということで口語で意訳しました。あの胸板で「僕は〜」ということはないだろうということで、かなりフランクですがご容赦ください。誤訳は愛嬌ということで、よろしくです。

 

https://www.playersvoice.com.au/andrew-nabbout-player-no-club-wanted/#gTEHmUL8wKC3pAGO.97

 

誰からも必要とされなかった選手

俺はメルボルンビクトリーから見放され、自信を失っていた。だけど、不安と憂鬱に打ち勝った。マレーシアでは、これまでになくハードワークしたのに、クラブの政治的理由で解雇された。クラブから見放され、サッカーにおいてほとんど未来は無いように思えた。

ジェッツが救ってくれたんだ。

俺は自分のキャリアは終わったと思っていたが、ローリー マッキナが救ってくれた。それから18ヶ月、俺は日本でプレーするためにここを離れる。他でも無い、浦和レッズ ー日本最大のクラブでプレーするために。

さらに今週はもっと良いニュースがあった。サッカールーズの予備候補に選ばれたんだ。こんな風に知られるのはめちゃくちゃデカイ。つまり、俺がこれまでのキャリアでずっと目標にしてきたことなんだ。日本でのシーズンで、俺はW杯まで良いコンディションでいられることだろう。それで、最終選考に良い状態で準備できればと望んでいる。

今ならあのキツかった時期を振り返ることも、それが俺をより良いフットボーラーに、そしてより良い人間にしてくれたと思うこともできる。ここまで来るまでの努力を誇りに思うよ。でもこれはまだ始まりに過ぎないってわかってる。まだ俺は長い道の途中にいる。

 

「ずっと怒っていた。」

若い頃にメルボルンビクトリーに入団した。ファーストチームでプレーできるまで、かなり努力した。いくつか良い瞬間があって、シドニーFCに3ー2で勝った時の2ゴールは俺のハイライトだ。

でもビクトリーは成功し続けないといけないチームだ。クラブはタイトルのため、何人かビッグネームを獲得した。公平に言って、彼らはとても良い選手で、若手選手の一人として、俺の序列は下がってしまった。

自然なことだ。でもしばらくして、俺はチームでチャンスを得るためにそれ以上何をしていいかわからなくなってしまった。

俺はずっと努力は報われると思って生きてきた。俺は居残りで自主練もして、チームメートはすぐにチャンスが来るって言ってくれていた。俺はチームメートがそう思うなら、監督だって同じだと考えていた。

その後、俺は自分自身のレベルが足りていないんじゃないかと思うようになった。試合のスカッドリストが前日に張り出されて、自分の名前がそこにないと、まさに怒りに対処しなければいけない日々が続いた。落ち込んだよ。

俺はキャリアのどん底まできてしまっていた。不安と憂鬱との戦いだった。

練習から家に帰ると、明かりを消して、座って天井を何時間もただ見つめていた。誰にも会いたくなかったし誰とも話したくなかった。もう我慢できなくて、ずっと怒っていた。

自分にはサッカーしかなくて、何も残っていないとわかるまでずっと一人で壁蹴りをしている気分だった。それで誰かが言うんだ。「お前は下手くそだ」って。他に何をしていいかわからなかった。タオルを投げ込んでギブアップすることさえ頭に浮かんだ。でも、希望を持って諦めなかった。

妻のサムはPFA(Psychological First Aid:心理的応急処置と思われます。)のために心理学の先生に連絡を取るように言ってくれた。最初、俺にはそれは弱いヤツのする選択肢のように思えた。俺はこんなプレッシャーには屈しないと決めていたんだ。でもそんな風に頑固でいても何も良くならない。彼女は俺がいかに間違っていたかを教えてくれた。

振り返ると、PFAを受けてよかったと思ってるよ。PFAは、不安や憂鬱といった悪魔を俺は克服できるんだって気づかせてくれたんだ。もしまたこんなことが起こっても、俺は自分をどうコントロールするのか知っている。

サムは彼女が俺のキャリアに与えてくれた影響を否定するけど、彼女は俺の一番のサポーターだ。俺たちは去年の6月に結婚した。今は毎日のトレーニングから家に帰って、彼女に何があったか話すのか待ちきれない。

彼女のおかげで、俺はいつも地に足をつけて、自分の今の状況に感謝する気持ちを忘れないでいることができる。彼女は俺のキャリアにおいて、そして俺の人生において、最高の出来事だ。

 

政治の闇

結局、メルボルンビクトリーではチャンスを得られなかった。2014ー15シーズンの終わりに放出されて、俺のビクトリーでの日々は終わった。そのあと、6ヶ月は所属先が見つからなかった。

俺はいつも公園で自主練をして、訪れるかもしれないどんなチャンスでも逃さないように準備していた。

まず、マリナーズのトライアルに参加した。クラブは俺の代理人のトニー・レイルズにオファーを送るって約束してくれた。でも、何週間待っても、オファーは結局来なかった。その後も、Aリーグのクラブからコンタクトは一つもなかった。

でもついに、チャンスはやってきた!マレーシアでのプレーだった。Negeri Sambilanという2部のチームだ。加入した。失うものは何もなかった。

マレーシアでは山あり谷ありの経験をした。でも多くのことを学んだよ。その一つは、マレーシアはピッチ上でのパフォーマンスよりも、政治力が重要な場所だってことだ。

俺は良いプレーをしていた。ダフって外した一本のシュート以外は。それに、その試合ではゴールも決めていた。当時のオーストラリア人監督・ガリーフィリップスを見た。俺はわかっていた。俺を交代させたのは彼じゃないって。クラブの会長が上から見てて、スタンドからメッセージを送る。彼が何をすべきかをね。

こういう奴らはすぐにクビを切って来るから、何か言われたら従うしかない。俺は気づいていた。この交代は自分の権力を見せつけたい会長の完全なるエゴなんだって。

終わりは突然やってきた。最終節が迫ってきたころだ。クラブはジョエル・チアニーズと俺を解雇して、新しい外国人選手を加入させようとしているって噂が流れた。

信じたくなかったよ。だって俺はチームのトップスコアラーだったし、その時リーグの得点ランキング4位だった。それにアシストもチームトップで、リーグでも2位だったんだ。

それで、ある日のトレーニングで、奴らが来て、俺たちはもうクラブに要らないって言ったんだ。覚えてるよ。俺は監督を見て、「冗談だろ?」って言ったんだ。

俺はそれまでよりもさらに努力していたし、サポーターは俺のことを愛してくれていた。チームメイトのマレーシア人選手ともうまくやって、お互い成長していたんだ。これ以上自分に出来ることは無いって思った。奴らは俺を過小評価して安く契約を終わらせようとしたけど、俺はピッチに立って、受け取るものは受け取った。

それから、俺をこんな風に追い出した奴らを後悔させてやるって決めたんだ。

まあ笑えるのは、12試合しかプレーせずクラブを去ることになったのに、そのシーズンのクラブ得点王は9ゴール9アシストの俺だったってことかな。

 

ジェッツに感謝

オーストラリアに戻って、俺は考えた。「で、どうする?」

Aリーグのクラブで俺に興味を示したところは無かった。最悪のことにも準備はできていた。つまり、これで引退になってしまうかもしれなかった。

俺にプランBなんてなかったから、次の契約がなかったらどうすればいいかなんてわからなかった。プロのサッカー選手になる以外にやりたいことなんてなかったんだ。みんなプロとしてがんばれって言う。お前は百万人に一人の選手だって。俺はいつもその一人になりたかった。だからあんな最低な時期も努力してきた。

全てが変わった瞬間を覚えているよ。俺はマウントブラーで弟とスノーボードをやっていた。なにもかも忘れたくてね。その時トニーからの電話があった。

トニーは今すぐスノーボードを捨てて移動しろと言ってきた。ニューカッスルでチャンスがある、でも旅費と宿泊費は自腹だって。もちろん気にしなかった。このチャンスのためなら、幾らだって金を払うつもりだった。

弟にニューカッスルに行くことを伝えて、すぐに車でメルボルンに戻った。ギリギリでニューカッスル行きの飛行機に間に合ったんだ。

出発前に、サムにこれが最後のチャンスかもしれないから、持てる全てを捧げてくるって言ったことを覚えている。それから、俺はずっと前だけを見続けている。

 

ニューカッスルでトライアルが始まった時、チームと数ヶ月トレーニングをしてきたわけでもないのに最高に上手くいった。チームに知っている選手はほとんどいなかったけど、またフットボールクラブに関われていることが嬉しかった。

スコットミラーはよく俺をピッチ脇に呼び寄せてアドバイスをくれた。俺がクラブと契約してから長い間彼がいたわけではないけど、彼から沢山のことを学んだし、彼がくれたチャンスにすごく感謝している。

ジェッツで、事態は本当に好転した。最初のシーズン、俺はマークジョーンズから多くを学んだ。けど、新しいレベルに到達できたのはアーニーメリックがやって来てからだ。そのシーズンの俺の成功は、多くのところ彼のおかげだ。彼は選手をより良い選手にするだけじゃない。より強靭で、あらゆる面で良い人間になれるよう手助けしてくれた。

 

ここ最近の12ヶ月間で、たくさんのクラブが俺に興味を示してくれた。

俺はトニーにピッチ外のことは全て任せていて、俺がサインせざるを得ないような話がない限り、移籍や興味の噂の類は聞きたくないって伝えていた。

数ヶ月前、トニーは浦和が俺に興味を持っているという話をキャッチして、浦和とコンタクトを取った。彼らは俺に興味があって、俺のパフォーマンスを追いかけているということだった。

(具体的なオファーじゃなかったから、)俺は最初この話はあまり進まないだろうと思っていて、このチャンスはもう過ぎ去ったものだと感じていた。でも、ワンダラーズ戦で良いゴールを決めてから、浦和が一気に興味を取り戻したんだ。

浦和はスタッフをオーストラリアに送り込んで、俺のプレーを確認させた。それで、電話で俺と話した。その後の事はすぐに進んでいった。

シドニーFC戦の2日前、知らせが届いた。家でソファーに座って、ロニー ベガスとプレイステーションで遊んでいた時だ。彼とはジェッツで仲が良くて、ほとんど毎晩、息抜きにオンラインで対戦して遊んでた。ボイスチャットで話しながらゲームをするんだ。

トニーからの電話がきて、ロニーとのボイスチャットをミュートにして電話に出た。トニーは、「浦和がジェッツにオファーを出した、たぶんジェッツは飲むだろう」と言った。「シドニーFC戦がジェッツでのラストゲームになるだろう」とも言った。

正直、俺が最初に考えたのは、「チームメイトはどう思うだろう?」ってことだ。ロニーとのチャットはミュートのままだった。電話を切って、ゲームもやめて落ち着くまですこし時間をとった。それでサムに話した。俺たちは、このオファーが断れるようなものじゃないってわかっていた。

浦和がどれだけ大きなクラブかって、考えるまでもない。俺は25歳で、サッカー選手のキャリアは短い。現役でいれる限り、全力を尽くさなければいけないんだ。

日本はとても良い選手たちがいることで知られている。中でも浦和はビッグクラブで、シャーレを掲げることを期待されるクラブだ。俺にとっても大きなチャレンジになる。

浦和は去年ACLを制覇したけど、リーグでは7位だった。

浦和が頂点に返り咲くために、俺がクラブを助けたい。

 

別れ

移籍の契約は済んでいたけど、俺はチームメイトに言い出せないでいた。

シドニーFC戦が彼らとの最後の試合になるってことはわかってたけど、試合に集中する必要があった。首位との直接対決に向けて準備が必要だった。

最後の試合で、決勝点をとった。1万8千人のファンの前で、、、。ニューカッスルとのお別れに、これ以上が望めるだろうか!

試合終了間際、交代になってピッチから去る時に、スタンディングオベーションが起きた。目に涙が溜まったよ。どうやって反応していいかわからなかった。ただこの素晴らしい雰囲気を一身に浴びて、自分の中にしまっておきたかった。

この街とこのクラブは特別だ。誰も欲しがらなかった俺を拾ってくれた。マレーシアから戻って来た時、どこにも帰る場所はなかった俺に、ジェッツはチャンスをくれたんだ。だから、感情的になったんだ。

このクラブと、ローリーマッキナが、俺のキャリアを蘇らせてくれたんだ。

 

月曜日の朝、午後2時の公式発表の前に、チームのみんなが読むグループチャットに長いメッセージを準備した。

正直言うと、メッセージを送る時、文章を書き始めるのに5分かかった。チームメイトがどんな反応をするのかわからなかったから。すごくタフだった。

みんなには、俺から最初に伝えたかった。みんなと知り合えて良かったとも伝えたかった。彼らは俺が一緒にプレーした最高の仲間だ。日本からもみんなを応援する。

みんなと一緒にシーズンを終えられなくてがっかりしている。でも俺はみんなが長いシーズンを戦い抜いてトロフィーを掲げることを信じている。このチームは優勝するにふさわしいチームなんだ。

 

期待した通り、リアクションはクソッタレだった!

 

グループチャットにはたくさんの$マークが踊っていた!でもこれは本当の意味じゃない。みんなこれがすごいチャンスだって分かっていた。最高に喜んでくれていた。

 

家族には、シドニーFC戦の2日前に移籍が実現しそうだって伝えた。

母さん、父さんと弟と妹、それと数人の友人がメルボルンから飛行機を予約して、最後の試合を見にきてくれた。

母さんは感情を抑えきれなくて、俺がタックルを受けようもんなら泣き出していた。だから、俺がゴールを決めた時母さんがどうだったか、みんな想像つくだろ!

うちは親戚が多くて、普段、試合がある週はいつも俺の両親の家に集まるんだ。食べ物を持ってきて、試合前はレバノン式のパーティーをやる。これがウチの家族の儀式なんだ。

父さんはデカいテレビをガレージに置いていて、みんなガレージの中で座って試合を観る。父さんは俺がゴールを決めた時、ジャンプして喜びすぎてファンで頭をぱっくり切っちゃって、ガレージの天井のファンを取っ払わなきゃいけなかった。そのあと、ハゲた頭ですっげえ怖い顔で歩き回ってたんだよ。

 

これから、日本に出発する。たぶん父さんはガレージを拡張しないといけないだろうね。じゃないとみんなが入れなくなる。たぶん毎週20人は集まるだろう。時にはもっとかも。

座る場所が残ってなくても、俺の家族は気にしないだろう。試合がよく見える場所をみつけたら、、、地べたでも座るだろうね。

俺の試合を観る時、家族はみんな騒ぐから、近所に迷惑をかけないようにガレージのドアを閉めないといけないだろうね。でももし俺が浦和でゴールを決めたら、みんなの大騒ぎは、さいたまの俺まで聴こえると思うな。

 

Andrew Nabbout